「あと」と「光堂」
先週末4月26日、27日と旅行へ行ってきました。
平泉・遠野です。
岩手県は初めてです。私は昨年まで静岡在住でしたから、東北
は遠くてね。東京に戻ったのを機に北への旅行をと考えました。
私は「戦国絵巻ポップス」を創るくらいですから、歴史マニアなん
ですよ。ですから、平泉はいつか行ってみたい垂涎の地でした。
奥州藤原氏が築いた北の都、当時京都をも凌ぐとまで言われた
黄金楽土の中心地を是非見たいと思っていました。
で、行ってきました平泉、見に行きました中尊寺。
芭蕉は「おくのほそ道」にあるようにこの平泉で二句詠んでいます。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」「五月雨の 降り残してや 光堂」
そうか、そうだったのか。はい、さすがは芭蕉、この通りなんです。
要するに「あと」しかないんです。
中尊寺と並ぶ名勝毛越寺も残っているのは庭園だけ。他は全て
「●●本堂跡」みたいな柱が立っているのみ。無量光院に至って
はただの広場です、そうです「無量光院跡」ですね。
また、中尊寺もですね、往時のまま残っているのは金色堂ただ
ひとつ。はい、ここで芭蕉のもう一句ですね、光堂とはもちろん
この中尊寺金色堂のことです。つまりこの二句、「あと」と「光堂」
これが全てなんですよ、ははは。
いや、もちろん、火事や兵火で焼失したのは知ってはいましたけ
ど、実際目の当たりにすると寂しいじゃありませんか。
その上、そうした過去から学んだのか、唯一残っている金色堂の
過保護ぶりったらありませんでした。金色堂を守るためガラスケ
ースで完全防御。そのガラスケースごと覆堂の中に安置するとい
う徹底的な体制ですな。覆堂が燃えても防火ガラスが守るのかな。
もちろん、失いたくない。金色堂まで失うわけにはいかない、お堂
には奥州藤原氏四代のミイラがあるそうですしね、その気持ちは
よく分かるのですが、金色堂って、やっぱり建物だからガラスケー
スの中にあっては興ざめ、黄金のお堂が吹きっさらしで立ってい
る、もしくは少なくとも覆堂の中にある、こういう姿を見たかったな。
中尊寺のほかの部分が燃えたのは建武の新政の頃の火事だそ
うです。どうですか、今ならもうちょっとましな防火体制がとれるん
じゃないかと思うんですけどね、ダメなのかな、ちゃんとそびえ立つ
中尊寺金色堂って。逆に今の時代恐いのは「人」なのかな?つま
りは放火ですね。韓国の南大門みたいなケースですね。確かに
人の悪意は防ぎきれないもんなぁ。
今、中尊寺を含めた平泉は「浄土思想を基調とする文化的景観」
として世界遺産登録も間近と聞いています。
「あと」と「光堂」しか残っていなくて「文化的景観」かぁ、う~ん、ど
うもしっくり来ないなぁ。
正直、京都や奈良の寺院群からすると見る者にとっては決定的に
ボリューム感が欠けている気がしました。
まぁ、私の期待が大き過ぎたのか?
明日は遠野編をお送りする予定です。あくまで予定よ(笑)。
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