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2008年5月

2008年5月31日 (土)

クリスピー・クリーム・ドーナツへの挑戦

私は甘党なんです。

私のブログを旧ヨロズー時代から読んで頂いている方はご存知

かも知れません。ですから、美味しいスウィーツを食べ歩く、話題

のケーキ屋さんを制覇するなんていうのは、別に特別なイベント

でも何でもなく、私の普通の日常なのですね。

そして、最近話題になっている、あの行列の出来るドーナツ屋、

はい、そうです、「クリスピー・クリーム・ドーナツ」です。これも気に

なりますよね、当然。何しろあのドーナツ、噂ではかなり甘いとの

こと。私は甘党でも、強烈な甘党なんです。これは前にも書きまし

たよね。「さっぱりした甘味」「ほのかな甘味」というのが許せない

んです。ガツンと甘いのがやはり最高。

あのクリスピー・クリーム・ドーナツはアメリカ発。

アメリカのドーナツやケーキ、あるいはチョコレートって病的に甘

いものとかあるじゃないですか。私はアメリカのスーパーで売って

いる白いパウダーがかかったドーナツがこの上なく好きなんです

よ。「アメリカ名物」、こんな風に我が家では呼んでいます(笑)。

さて、そうは言っても、私はドーナツを買うために2時間も並んだり

は出来ません。並ぶの大嫌いなんですね。ですから、方法を考え

ます。まぁ、一番簡単なのが予約ですけど、ドーナツ屋に予約は

ないので、まぁ、コネを使うとかですけど、これまたコネもない。

じゃぁ、朝早くに行くか?いや、あそこは朝早くから並んでいると

聞いたぞ。そんな訳で私はこのクリスピー・クリーム・ドーナツを

食べること、と言うより、並ぶことを躊躇していた。アメリカには

300店以上あるのだから、アメリカに行った時に食べればいいじ

ゃないか、なんて思っていました。もちろん、渡米の予定はない。

そんな私に業を煮やしてか、妻が「並ぶ宣言」をしました。

まぁ、私の妻も私同様甘党なんですけどね。

さて、私の妻がその計画を実行したのは5月26日の月曜日でし

た。彼女は専業主婦、平日が使えます。その上、その日は運動

会の代休で子供も休み。朝から戦闘態勢でした。

彼女は考えた末、新宿ではなく、有楽町の店を選びました。新宿

は平日の朝でも混んでいるとの噂による決断でした。

5月26日朝9時、彼女が息子と共にクリスピー・クリーム・ドーナ

ツを訪れると、何と行列はありません。彼女はそのままドーナツを

全種類購入。静岡の友人にまで贈っていました。ちなみにあそこ

は並んでいる人に出来たてのドーナツを配るというサービスをや

っているのだが、並ばなくてもくれたそうです。

その夜、私が帰宅すると、妻は私に鼻高々に話しました、「全然

並ばなかった」と。会心の出来だったのでしょう、それほど首尾よ

くいったというのは。

おかげで私もクリスピー・クリーム・ドーナツにありつくことが出来

ました。

うん、確かに甘い。いいぞ、アメリカのドーナツという感じがするよ。

ただ、本当に美味しいのはベーシックなやつ、オリジナル・グレー

ズドと言ったかな、あれだけかも知れない。と言うか、他のも美味

しいけれど、あれが一番ストレートに砂糖の甘さが伝わって来るね。

次がもしあるなら、あれだけをまとめ買いしようっと。

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2008年5月30日 (金)

鳴かぬなら

「鳴かぬなら...」で始まる三つの句、有名ですよね、はい、そう

です、あのホトトギスの句です。

織田信長:「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」

徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

天下人となった3人の句のように言われていますが、もちろん、

これは後世の創作です。松浦静山という人が「甲子夜話」という

随筆の中で書いたもの。江戸時代の人ですね。この随筆の中で、

ホトトギスが贈られたのだが、これが鳴かない。その時この3人

がこのように答えたということが、その3人の気性などを考慮し

て書かれたものなのです。

もちろん、この3人に同じシチュエーションで同じ質問をするなん

てあり得ない話ですからね、当然創作なのです。

しかし、どうなんでしょうか?別に歴史マニアでなくても、この句

を知っている人は多い。そういう人から見れば、この句に表れて

いる気性がそのままイメージになってしまうんじゃないだろうか。

信長は比叡山まで焼いた人ですし、家臣に対して苛烈な仕置き

もしたことがある、故に「殺してしまえ」。秀吉は、墨俣の一夜城

のように色々な工夫によって最後は天下人へ、人たらしの天才

ですしね、故に「鳴かせてみせよう」。で、その秀吉が死ぬまで

辛抱強く待った家康故に「鳴くまで待とう」。

幾らなんでも短絡的と思いますねぇ。

この句で最もイメージを損なっているのは信長ではないでしょう

か?何しろ「鳴かないんだったら、殺しちゃうよ~」っていう極端

な性格で描かれています。この句から受ける印象は、とにかく

短気で、恐い人というものだけです。確かに、私も「信長ならあり

得る」と思わなくはないのですが、単なる短気と考えてのことでは

ありません。まぁ、恐い人なのは間違いないけど。

この3人、「信長がこねて、秀吉がつき、家康が食べた天下餅」

と言われるように、戦国時代を天下統一するにあたって一番ハ

ードな時期を乗り切ったのは信長です。秀吉はそれを継いだ形

ですし、家康は更にそれを奪ったわけです。ですから、最も創意

工夫を凝らして、戦国という未曾有の時代に立ち向かったのは

信長なのです。信長がいたから、その家臣であった秀吉も、そ

の同盟者であった家康も天下に手が届いたのです。

その大元である信長は単に短気で恐い人なのか?それでいい

のか?って思うんですよね。確かに短気で恐い人かもしれませ

んが、「単に」ではないと思うのです。

桶狭間の戦いではわずかな兵で奇襲、大軍を打ち破る、しかし

その後は奇襲を殆ど用いず、数の戦をします。彼は自分の領地

に「楽市楽座」~自由に商いを行うことが出来る活気溢れる地を

築くのです。それまでは寺社などに色々金を納めて商売をしなけ

ればならなかった商人たちは、そこへ行きます。結果信長のとこ

にだけ金が集まる仕組みを作り上げるのです。そして、兵農を分

離します。農民は農業に従事し、集めた金で兵を雇うようにする

のですね。早い話兵が死んでも、また新たに流れ者などを金で

雇うのですから、金さえあれば大軍が組成出来る。商人も農民も

幸せで、なおかつ大軍が作れるのです。ですから、もう奇襲の

必要はありませんでした、大抵は。

ところが、所詮は流れ者ですから、戦況が不利と見れば、みんな

逃げ出してしまう弱い軍隊です。ここが武田の兵とは違います。で

すから、強い武田と戦う時には鉄砲を持たせる、それも大量の。

それも金で買ってくるのですね。それ以前にも他の軍よりも長い

槍を使うなど様々な「弱い軍隊対策」を施します。海戦において

は軍艦まで造ってしまいました。

そう、こんな創意に富んだ発想の人なんです、織田信長は。

ですから、「単に」短気で恐い人じゃない。

ですから、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と、もし、彼が言う

としたら、こんな意味です。

「鳴かぬなら鳴くのと代えようホトトギス」

彼は、どうしてもホトトギスが鳴かなければいけないのだとしたら、

見事に鳴くホトトギスを草の根分けてでも探し出し、それと代えた

のではなかろうか?もちろん、鳴かないホトトギスは殺されるので

しょうけど。

つまり、「殺す=鳴かせることを諦める」のではなく、「殺す=鳴く

ホトトギスを別途手に入れる」という解釈です。これこそが信長に

ふさわしい考え方じゃないかななんて思います。

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2008年5月28日 (水)

琵琶湖畔へ

以前私がヨロズーという音楽サイトでブログを書いていた時に

お話しましたが、私は毎年滋賀へ行きます。宿泊は彦根です。

いつも同じ。琵琶湖の湖東ですね。

何故かといいますと、歴史的な舞台が多いからですね。

私は「戦国絵巻ポップス」を創るくらいですから、歴史マニアな

のです。ですから、滋賀県、かつての近江国(おうみのくに)は

垂涎の地なのです。

ご存知のように戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とい

った天下人たちは今でいう愛知県の出身でした。彼らが当時都

であった京都に行こうとすると、必ずこの滋賀県を通ることにな

ります。そして、京都では出来るだけ戦争はしない、天皇も将軍

もいますからね。そうすると、その周辺、特に愛知県から京都へ

の通り道、滋賀県が最も熱い場所になるのは必然です。

この琵琶湖畔から一時間で「関が原」。湖東には「姉川」「賎ヶ岳」

など古戦場が目白押し。もちろん、国宝彦根城、石田三成の居

城佐和山城跡、あの信長幻の城安土城跡、秀吉出世の地長浜、

関白秀次が治めた地近江八幡、いやもう挙げればきりがありま

せん。寺も多く、比叡山延暦寺を始めもう一日二日では見切れ

ませんよ。

しかし、私も仕事がありますから、そう長く観光にうつつをぬかし

ているわけにもいきません。なので、一泊二日を毎年繰り返す

のです。今年は6月14日15日に決定しました。

春は桜、秋は紅葉が綺麗ですから、人が多い。

ですから、その時期ははずしましょう。私は桜が見たいのでは

ないんだ。6月は雨が多いでしょう。ですから、みんな敬遠する

んです。だから、ゆっくり楽しむには最適です。

でも、実は6月っていうのはベストシーズンなんですよ。

これは京都、奈良にも言えることなんですけど、やはり日本の

寺は苔が多いでしょ、だから、6月にはそれが青々と輝くので

すよ。雨に降られたとしても、シトシト雨が多いから、それほど

苦にならない。地元のタクシーの運転手さんなんかに聞くと、

「空いてて、綺麗、6月はいい」って言いますから。

ただ、今回は奈良まで行きます。琵琶湖畔の観光は二日目の

半日だけかな。

奈良でね、見たいんだ、復活した玉虫厨子を。

当時の姿を推察して新たな玉虫厨子を作ったというニュース

が数ヶ月前に流れました。この公開が6月いっぱいまでなんで

ね、行って来ます。

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2008年5月26日 (月)

音楽を旅する~アイヌ編

「音楽を旅する」の何回目だったかな?6回目かな。

今回はアイヌ音楽です。

「音楽を旅する」なんてことを考えると、割とすぐに考えるのが

「じゃぁ、日本の音楽を」ということです。そう、世界の音楽を追い

求めるのなら、自分たちの国、日本の音楽だって旅しようじゃな

いか、ということですね。はい、これは至極当然の成り行きです。

しかし、私はこうした民族音楽からの流れで日本の古典、純邦楽

に出会ったわけではありませんでした。それは別ルートですね。

歌舞伎への興味から徐々にという感じだったかな。ですから、こ

うした民族音楽的なアプローチから出会う音楽はおおまかに二つ

です。琉球音楽とアイヌ音楽。

この内琉球音楽についてはもはやその影響がJ-POPにまで浸

透しているほどですから、今更改まって聴かなくてもどうにでもなり

ます。チャンプルーズとかから遡って民謡、しまうたなどに行き着く

のは容易です。だから自然とそういうCDは家にあったな、いや、

もちろん、いつか買ったんでしょうけど。

その時私が興味を持ったのはアイヌ民族の音楽でした。

丁度その頃北海道を旅行したんですよね。で、各地に点在するア

イヌコタンなんかを見ました。そうしたこともあってちょっと興味を持

ったのです。

やはり、アイヌ民族は侵略された民族です、侵略したのは他ならぬ

この日本。今では彼らアイヌの血を受け継ぐものも日本人なわけで

すけど、当然彼らの中には彼ら独自の伝統的文化があったのです。

しかし、時の流れの中で、言葉を話せる人間は減り、それらを守る

運動をしている人たちは大変な苦労をしていると聞いています。

まぁ、いずれにせよ、アイヌ民族には彼ら独自の音楽もあったわけ

です。そして、その音楽は正に純邦楽という位置付けではなく、民族

音楽というジャンルとして聴くことが出来るのです。というのも私が

持っているCD「アイヌのうた」はビクターのワールドミュージックの

シリーズの一つでしたから。

そして、私は聴きました、アイヌ音楽。

正直私は少なからず落胆しました。そこで聴いたのは子守唄、祝詞

早口言葉などを含む、極めて土着的なもので、当時の私は「とても

音楽と呼べるシロモノではない」、こう断じました。恐らくそれは、一

方にある琉球音楽があれほどの独自性と美しさを持ったものである

のだからという勝手な思い込みでアイヌ音楽を自分の中で定義して

しまっていたからなのだと思います。って今はそう思うんですけど、

当時は分からなかった。

で、次に「もう少し音楽的なもの」と考えて、アイヌ出身の音楽家OKI

のアルバムを聴きました。彼の評判はこうです、「アイヌ音楽とロッ

ク、それにレゲエやブラック・ミュージックまで取り入れた音楽」。

確かにそうだったかも知れない。でも、それでも私にはこう思えた。

「レゲエ、ソウルの要素は理解出来るが、アイヌのエッセンスはどこ

にあるのだろう?」。現代音楽との融合を図ったアイヌ音楽も私に

はその良さが分からなかったのだ。

アイヌ音楽についてはこれ以上聴かなくてもいいかと正直思いまし

た。しかし、そのOKIのアルバムの中で、彼がプロデュースしたアル

バムのことを読んだのです。それが安東ウメ子の「イフンケ」でした。

私はよくその人のことを知りませんでしたが、彼女はアイヌの歌の世

界では第一人者だと言うじゃありませんか。ならば聴いてみよう、そ

れで最後にしよう、そう思いました。

この「イフンケ」というアルバム、これは出来れば全ての人に聴いて

欲しいね。少なくとも音楽やる人には聴いて欲しい。

凄いよ~、これは。

相変わらず琉球音楽のような派手な美しさは欠片もありません。

ありませんが、何と言うのでしょう、素朴?生活感?

歌というより唄。田舎のおばぁちゃんが唄ってくれる子守唄のイメージ

だろうか。実際内容的には前述の「アイヌのうた」と同じなのでしょう

が、やはりより音楽的だし、OKIのプロデュースがいいんでしょうね、

それと安東ウメ子の唄が抜群にいいのだ。

もし琉球音楽が「青い海」なら、アイヌ音楽は「広い大地」。

「美しい女」なら「強い母」といったところかな。

初めて聴くのに懐かしい、こんなどこかで聞いたことのあるコピーが

ピッタリ来るような音楽でした。

この後も何枚かアイヌ音楽を聴きましたが、これ以上のものは無かっ

たですね。

もし、アイヌ音楽を聴くなら、「イフンケ」を、何はなくとも。

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2008年5月25日 (日)

今更一人で幸せになるなんて

山口百恵という歌手がおりました、昔。

今は引退して三浦友和氏の奥さんですね。私は当時も特にファン

でもなかったけど、そりゃぁ、引退の時には大騒ぎだった。彼女は

数あるアイドル歌手の中でトップを走っていたし、アイドルから大人

の歌手へ上手に変貌を遂げた最高の例でもあったから、老若男女

を問わずファン層が広かったのでしょう。

しかし、その多くは引退を歓迎するものだったと記憶している。

一人の愛する男性と結ばれるために潔く芸能界から去るという彼

女の選択が世間には好意的に受け入れられたし、素敵なことだと

言われていた。

でも、私には不思議でならなかった。許せなかったと言ってもいい。

前述のように、私は別に彼女に深い思い入れがあるわけでもない。

それでも、私の目にはこう映った、

「彼女にとって歌とは、音楽とはそんなものだった」と。

彼女の歌を追い続けてきたファンなどはいい面の皮である、と。

もちろん、歌手が個人的な幸せを求めることは当然だ。もし、そ

のために歌を捨てなければならないのなら、歌を捨ててもいいの

だと考えるのは人間として普通なのだが、それは手酷い裏切りで

しかない。彼女は幸せの前にいるかも知れないが、それは音楽が

もたらしたものだし、その音楽を支えてきたのはファンである。私

には彼女がそのファンを置き去りにして、自分一人が幸せになる

道を選んだように思えて仕方なかった。

今でもそう思っている。

例えば、美空ひばりはどうだろう?

もちろん、彼女だって個人的な幸せは追求しましたよ。

でも、恐らく彼女の中ではいつも歌が一番だった。まぁ、こちらが

飽き飽きするほど彼女の最期については番組が作られるけど、

そういうものを見る限りでは、彼女は命懸けで歌を歌っていたで

しょう。自分のため、そしてファンのため。彼女のファンは幸せだ。

美空ひばりは命を懸けてまで、東京ドームコンサートを行ったん

だし。

人間だから、どういう道を選ぶ権利もあるし、誰だって幸せになり

たい。引退して幸せになる道を選ぶ人がいてもいいのだ。

でも、それを許すというファン心理は今だに理解出来ないなぁ。

ファンは「悲しいけど、彼女が幸せになるならいい」と考えるのだ

ろうか?それがファンか?ファンの側にもそれほど深い思い入れ

は無かったのかも知れない。そういうあっさりした関係なのかな。

「あなたは今更一人だけ幸せになるなんて出来ない人間なんだ」

こう言ってはいけないだろうか?

音楽家ってそういう重荷を背負わないでもいいのだろうか?

私は背負うべきだと思っている。

それが重いのなら、その重さについても歌にして欲しい。

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2008年5月24日 (土)

無期限活動停止するなら解散せよ

そういえば、サザンが無期限活動停止を発表しましたね。

サザンはある意味日本を代表するロックバンドのひとつでしょう

ね。特にあのバランス感覚っていうのかな、売れ線を狙うことを

潔く受け入れつつも、それで発言力を持つことによってサウンド

に厚みを得てきた、そんな感じがしています。

ただ、コアなロックファンはその優れたバランス感覚が好きじゃ

ないのかもしれないですね。しかし、それは「サザンのどこがい

いの?」と言うこと自体が一つのステイタスとなるほど、彼らは

影響力があることの表れだと思っています。

まぁ、そこまで言っておいて何ですが、私は必ずしもサザンが

好きというわけではないかな。特にバンドのサウンドの話です

けど。そうだな、もっと詳しく言うと、桑田氏の書く曲は好きで

す、特に最近の曲は。ソロアルバムは結構好きだった。でも、

サザンの音はそれほどじゃない。やはりドラムとか同じとでし

ょ?バンドだから当たり前ですけど。それに女性コーラスは

原ぼうの声になっちゃう、これもやや不満。

ですから、私はサザンの活動無期限停止は大歓迎かな。

どの道桑田氏のソロ活動は聴けるわけでしょ?その他のメン

バーの音楽になんて全く興味ないし。何で解散じゃないのか

な?解散でいいと思うけど。無期限活動停止だとサザンはま

だあるじゃないですか、それだと桑田氏のソロコンサートでサ

ザンの曲はやりにくいですよね。私はもっと上手いバックを

従えてサザンの曲をライブでやってほしいと思いますけど。

丁度ポール・マッカートニーがビートルズの曲をソロコンサー

トでやるのに近いかな。

第一何で無期限停止なんでしょう?それは事実上無期限で

はないからなのかな。解散だって再結成すればいいだけだか

ら、一緒じゃないのかな?訳分かんないです。

まぁ、いずれにせよ、桑田氏以外のメンバーには興味が無く、

また、サザンというユニット自体が桑田氏の音楽性を狭めて

いる気がしているので、早くソロ活動を謳歌してほしいと思い

ますね。

そうそう、それと、これを機に、限定盤とかじゃなくてちゃんと

したベスト盤を出してくれ。4枚組みとか5枚組みでもいいぞ。

ちゃんとヒット曲を網羅してくれ。

頼む。

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2008年5月23日 (金)

心の映画に出会う喜び

以前このブログで、私は映画を年間150本ほど見ると書きました。

学生時代は恐らく200本以上見ていたと思います。大学のそばに

ACTミニシアターがありましたので、そこで夜を明かしたことも数

えられないほど。まぁ、そのまま寝てしまうことも多かったけど。

まぁ、そうやって映画を見て、「本当に面白い映画」に出会うのは

実に楽しい。ただ、この「本当に面白い映画」というのはどういう

ものか。「面白い映画」ではないのです、「本当に面白い映画」で

す。とにかく心ごと持って行かれるのような映画なんですけど。

年間150本映画を見て、「面白い映画」にはちょくちょく出会うん

ですね、「よく出来ているなぁ」とか「上手い脚本だなぁ」とかね。

でも、「本当に面白い映画」はどうか?年間150本見たとして、ど

ういう確率でそれに出会うことが出来るのか?

そうですね、数年に一本あるかないか、というところじゃないで

しょうか。一生のうちに何度も見返す、死ぬまで見続ける、見る

度に新しい発見がある、こんな心の映画。

実を言うと、学生の頃はもっと出会えていました、心の映画に。

その頃は、例えば過去の名画などで見ていない作品もたくさん

あったのです。だから、のびしろが残されていたんですよね。

そもそも過去の名画は淘汰されて残ったものである傾向があり

ますから、「心の映画」「本当に面白い映画」になってくれる確立

は、闇雲に最新作を追いかけるより高いのです。

「カッコーの巣の上で」「タクシードライバー」「ジョニーは戦場に

行った」「自転車泥棒」「ベニスに死す」、その頃出会った心の映

画ですね。そして、「アマデウス」かな、最も心に残ったのは。

思えば、そういうのびしろが残されている頃が一番楽しい時期だ

ったかな。割と苦労せずに出会うことが出来ました。

余談ですけど、私、そういう映画に出会うと、知らず知らずに自

分の太ももを叩くんですよ、拳で。だから、見終わった後痛い。

その痛みでね、「あぁ、出あった~」なんて思うんです。

しかし、今やのびしろも尽きた。最新作を見ていく時期になって

しまった。もちろん、その中から新たな心の映画を見つければ

いいんですけど、そういう映画はまだ淘汰の波を越えていない、

時の審判を受けていない、正に玉石混交。もちろん面白い映画

も多々あるが、心の映画という基準で行くと、圧倒的に玉は少な

く、石ばかりに出会う毎日が続くのです。

それでも、一度この心の映画と出会う喜びを知ってしまったから

には止められないのです。「また、ああいう喜びを」と、中毒患者

のように追い求めてしまうのですね。

最後に出あったのはいつだったか?

多分、「ショーシャンクの空に」だったかな。それ以来心の映画

には出あっていない。

世界中の映画監督、よろしくお願いします。

私はいつも待っています。

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2008年5月21日 (水)

ケーキを愛するようにコーヒーを愛する

コーヒーにこだわりがあるってかっこいい。

酒に薀蓄があるのに似ていて、とてもセンスがあるように思える

のだ。私は甘党なので酒にこだわりがありません。家には酒が

ありません。真夏でもビールを飲みません。

でも、かっこよく酒を飲んでいる人を見ると「かっこいい」と思って

しまいます。私には真似できないなぁ。だって、苦いし(笑)。

それと同様にコーヒーもダメなんだな。

あれも、ほら、苦いでしょ?

でも、コーヒーをかっこよく飲む人も素敵なんだな。

酒にしてもコーヒーにしても、甘党の自分にはあまり縁の無い世

界なので、そこに詳しかったり、楽しんでいる人を見ると憧れて

しまうのでしょうね。いや、もちろん、私は甘党であることを喜んで

いますから、無理して酒やコーヒーを飲んだりしないのです。だか

ら余計に憧れるのかも知れませんけど。

酒は仕事の付き合いで飲む以外は殆ど飲みませんが、コーヒー

はちょっと違います。

やはり、私は甘党ですからケーキを食べる機会が多いのです。

毎週週末はと言うと多すぎるけど、二週間に一度は食べるなぁ。

このケーキのお供と言えば、やはりコーヒーか紅茶というのが

一般的ですよね。私は紅茶派ですが、それは紅茶はそれほど

苦くないからというだけの理由に過ぎません。紅茶にもこだわり

がないんですね。

ですから、コーヒーとなれば尚のこと、全くと言っていいほど、気

にすることなくこれまで生きてきました。

しかし、私は甘党も甘党、強烈に甘いケーキが好きなのです。

「さっぱりした甘さ」、これダメダメです。美味しいケーキ屋さんを

紹介する本などで、よくこの言葉使われます。そういう台詞を読

む度に「何言ってんだ、強烈に甘くなきゃケーキじゃないよ」なん

て一人で突っ込んでいます(笑)。

ちょっと論点から外れましたが、要するに、強烈に甘いケーキの

お供には濃いブラックコーヒーが最適なのではと最近思い始め

たのです。いくら甘党と言っても、甘いケーキと甘い飲み物を一緒

に飲むというのはあまりよろしくない。

やはり、甘いケーキを存分に楽しみたいのであって、甘い飲み物

はそれこそ添え物なわけです。ですが、飲み物まで甘いとケーキ

の甘さがしっかり楽しめない、まぁ、こんなことに今更気付いたの

ですね。

で、最近はコーヒーを飲む機会がちょっとだけ増えました。

私が好きな強烈に甘いケーキの甘さを際立たせるコーヒーは酸

味の強い系統のものではないかと思い始めています。

まぁ、モカとかマンデリンとかかな?

だが、うちにはコーヒーメーカーがない。

使わないので、実家に送ってしまった。私としたことが、とんだこと

をしたものだ。

私は心を入れ替えた。

やはり甘党はコーヒーも愛さなければいけないと悟った。

ケーキを愛するようにコーヒーも愛さなければいけない。

それが甘党だ。

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2008年5月19日 (月)

音楽を旅する~ロシア編

音楽を旅するの5回目はロシアです。

ただ、私がこのロシア民謡を聴こうと思った頃、つまり私が大学

生だった頃にはロシアという国はありませんでした。ソ連だった

のですね。

でも、「ロシア民謡」という音楽は確かにあったし、そういうCDも

ちゃんと置いてありました。特にロシア民謡は日本でも人気が

ありましたから、日本語版のロシア民謡のCDも多くありました。

例えばボニー・ジャックスみたいなコーラスグループが歌ったト

ロイカなどです。

で、当時私は単純にこう思いました。

日本でも有名なロシア民謡の名曲、トロイカ、カチューシャなど

を、日本語ではなくロシア語で聴けば良いのだと。そしてどの道

民謡なのだから、有名な歌手などはそれほど存在しないし、何か

オムニバス的なもの、「ロシア民謡集」のようなCDを聴けば事足

るだろうと。そして、私は入手しました、歌っていたのはソビエト

国立室内合唱団、「決定版ロシア民謡集」というタイトルでした。

正に図ったようなCDを手に入れて満足したものでした。

しかし、後にCDショップでロシア民謡のCDを多く見かけるように

なります。それらの多くは見たことも無いようなCDだったし、ジャ

ケットに写っているアーティストたちは、正に村の音楽家のような

風情のものが多かった。試しに一枚買いました。中にはそれこそ

私がかつて聴いたような有名な歌曲は一曲も無く、どちらかと言

えば、バラライカのような民族楽器演奏だったり、コサックだった

り、また、国、地域という問題で言っても、それはベラルーシの音

楽だったり、ウクライナの音楽でした。

そうです、その時既にソ連は崩壊していたのです。

そして、私がかつて満足したロシア民謡は、実はロシア民謡では

ないとその時初めて気付きました。

本当のロシア民謡というかロシア民族音楽、スラブ系民族音楽は

その「村の音楽家」たちが奏でたものであって、ソ連国立室内合

唱団が歌ったものではなかったのです。これは官と民という話で

はなく、本当にロシア民謡ではないということです。私たち日本人

がロシア民謡だと思っている歌曲の多くは純粋なロシア民謡では

なく、ソ連統治時代以降に創られた「ソビエト歌曲」だったのです。

つまり、ソ連統制下本当のロシア民謡は私たち日本人にまで届く

術も無く、殆どが「ソビエト歌曲」がそれに代わり「ロシア民謡」を

演じていたということです。まぁ、一種の情報統制でしょうか。私も

すっかり騙されてしまいました。

結局旧ソ連を形成していた地域には各々民族音楽があったので

す。今考えると当たり前のように思いますけど、そういう時代だっ

たのですね。今は普通に本物のロシア音楽のCDが手に入れら

れます。私はバラライカの演奏大好きですね。

ただ、ロシア民謡が本当の民衆の音楽で、ソビエト歌曲が情報統

制下作為的に表面化した音楽だとしても、それでソビエト歌曲の

評価が下がることは一切ないと考えています。音楽に罪は無い。

日本人が愛した偽ロシア民謡~ソビエト歌曲は、美しいメロディを

持つ独特の世界があります。私はこれらの歌曲が好きでねぇ、日

本語版は今でも口ずさんだりするなぁ。

でも、そろそろ、こういう曲をロシア民謡として販売するのは止めた

方がいいと思います。「ソビエト歌曲集」でいいじゃないか。それで

大きく売上が変わるとも思えないけどなぁ。

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2008年5月18日 (日)

医療としての音楽

ヒーリング・ミュージックというジャンル?というか言葉はいつ頃

から使われ始めたのでしょうか。大きなCDショップなどはヒーリ

ングなるコーナーまで用意しているところがある。

でも、音楽はどんなスタイルにせよ、人の心を慰め癒すものだ。

時にウキウキさせ、時に切ない気持ちにさせる、魔法と言っては

口幅ったいが、要は本来的にそういう力を持っているものだと私

は思っています。だから、改めてヒーリング・ミュージックなどと

銘打って、ただ綺麗で激しさの伴わない音楽を集めたコンピな

どはあまり信用しないことにしています。

ただ、こんな話を聞いたことがないだろうか?

クラシック音楽を聴かせたら、牛の乳の出が良くなった、とか、

ワインの熟成が上手くいったなどという話。

つまり、音楽の持つ癒しの力は、単に気分が良くなるとかという

次元の話のみならず、具体的かつ物理的な効果を期待出来る

ものということの証明とも言えます。

それを人にも利用する。すなわち人を具体的に再生させるため

活用することも可能なわけです。いわゆる、音楽療法というもの

ですね。以前TVで見たことがあります、例えば麻薬中毒患者の

治療に音楽療法を用いたら、治癒が早まったみたいな話だった

かな。もちろん、音楽を聴いたからといって傷口がふさがるわけ

ではないのだから、補完医療としての役割であることは間違い

ありませんが、昔から言う様に「病は気から」、音楽療法という

発想は必然なのでしょうね。

私はこの音楽療法について新しい音楽ジャンルとして期待して

いるんです。それはもちろん治療のための音楽なのですが、そ

れを娯楽として聴ける日が来るのではないかという期待です。

ただ、それはまだまだ遠い日のことのようです。

実情は逆で、娯楽のために創られた音楽を治療に利用している

のです。モーツァルトを聴いてリハビリの効果を促進するみたい

な感じでしょうか。しかし、モーツァルトはリハビリのために曲を

書いたわけではないので、正確には音楽療法用の音楽ではあ

ありません。当然、音楽療法を行う医師は音楽家ではありませ

んし、音楽家は医者ではありません。残念ながらここには疎通が

ないのです。

個別具体的な一人の患者の症状に合わせた音楽を創る、そこ

までは無理としても、ある一定の病気や症状にあった音楽を創

るというようなアプローチがあって初めて音楽療法と思えるし、

音楽療法音楽、医療としての音楽が確立すると思うのです。

それは極めて非現実的な発想かも知れませんけど、現状音楽

療法とは医療が音楽を利用しているだけで、音楽は何も生み出

していません。そこにいるのは医者だけで、音楽家は医療の現

場にはいませんから。もちろん病人の役に立っていることはとて

もいいことだと思いますけど、単純に音楽のことを考えるとあまり

大きな意味があるとは思えないのです。丁度フィギアスケートの

音楽にぶつ切りにされた楽曲を使われてしまうような感覚かな。

金メダルも取れて非常にいいかも知れませんが、プッチーニの

真髄は別のところにあるのですから。

だから、今後音楽療法の中で音楽が新たな境地に達するため

には音楽家の力が必要です。医療としての音楽を本格的に

創っていく作曲家の力が必要です。

医者と音楽家、両方揃わないと、本当の音楽療法は無理では

ないだろうか?こんな風に思います。

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2008年5月17日 (土)

音楽を旅する~ケルト編

「音楽を旅する」の4回目はケルトです。

もう随分前だと思いますけど、ケルト音楽がブームになったこと

がありました。民族音楽のコーナーは分かりやすくて、どんなに

大きなCDショップでも、そのスペースは限られていますから、少

しでも流行のものがあると、その配置が大きく変わります。一時

期このケルトも大きくそのスペースを有していたことがありました。

現在はロマ音楽やベリーダンスに取って代わられてますが。

私が最初にケルト音楽を意識したのは、恐らくあのエンヤのCD

を聴いてからだと思います。それまではケルトなんて言葉も知らな

かったと思います。エンヤの音楽が特に好きということでもありま

せんが、その解説等にはやたらと「ケルト」なる言葉が出てくる。

「一体ケルトって何?」という疑問がケルト音楽への入り口であっ

たと思います。

で、私は今もその入り口に佇んだまま、そういう風に感じています。

正直、ケルト音楽って何?っていう疑問が未だに解決出来ていま

せん。ですから、こんなブログを書いていいもんかとも思いますが、

そういう疑問自体が私のケルト音楽に対する思いだと最近感じる

ようにもなったので、あえてここで取り上げたいと思います。

私の疑問「ケルト音楽って何?」というのは、つまり「ケルト音楽っ

て存在するのか?」っていう疑問です。

ケルト民族はかつてヨーロッパを席巻し、あのシーザーに追われ

現在のイギリスの島へ流れ着いた、その他はその島の対岸であ

るフランスのブルターニュなどに拠点を置いたりしていたわけで

す。現在のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、そしてフラン

スのブルターニュが主なケルト民族地域です、もちろん他にもた

くさんあるのですが。

ただ、私はその全ての地域の民族音楽を聴いたし、ケルト音楽

では定評のあるグリーン・リネット・レーベルなどを中心に聴いて

みましたが、遂には「ケルト音楽」を発見出来ませんでした。

よく、ブームの時に言われていたのが、「透明感のある声、癒し

の音楽」、こんなのがケルト音楽のイメージではないでしょうか。

例えば、コアーズなんかかな?

でも、実際民族音楽を聴くと違う。例えば、スコットランドのバグパ

イプ、これがケルトなのか?これはスコティッシュなのでは?と思

うのですね。結局そこにあるのはケルトではなく、スコティッシュで

あり、ウェルシュであり、アイリッシュなんですね。もし、「透明感の

ある声、癒しの音楽」、こんなイメージがあるとしたら、それはケル

トではなく、アイリッシュの音楽の中にあるものではないかな。まぁ、

それも一部ですね、アイルランドのパブで聴く音楽のCDにはそん

な音楽は入っていなかったし。

もちろん、ブルターニュ地方の民謡なんかも含めて、それらはケル

ト人の遺産を受け継いで来た今なのでしょうが、もはやケルトとい

う言葉で一括りにするのは無理があるほど、それぞれの地域性が

発揮されていますし、別々の音楽になっていると思います。

かと言ってゲール語で歌えばケルトっていうわけでもない。日本語

のラップは日本の音楽ではないように。

結局、私は数え切れないほどのいわゆるケルト音楽を聴きました

が、そこにあったのはある時はスコットランド民謡であり、ウェール

ズの歌であり、アイルランドの声であり、それらに影響を受けたポッ

プ・ミュージックでした。

私にとってケルトは実体の無い言葉、音楽、そんな結論に達しまし

た。次回へ続く。

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戦国絵巻ポップスを聴け!

先日「戦国絵巻ポップス」第三弾「長篠」を公開しました。

まだ、聴いていない方は是非!

さて、本当はこの第三弾は「長篠」にする予定ではありませんで

した。というのも、第一弾の「桶狭間」で織田信長を描きましたし、

第二弾「川中島」で武田を描きましたから、第三弾「長篠」とする

と、再び織田と武田を描くこととなり、重複感があると思ったから

ですね。

本当は第三弾には「厳島」を考えていました。

毛利元就が策謀を巡らし、寡兵を以て大軍を倒した戦です。これ

もある意味逆転劇ですから、ドラマチックです。故に「厳島」をと考

えておりましたが、どうも気が進まず、結局「長篠」にした途端、あ

っという間に曲も詞も出来たので、こういうこととなりました。

いずれ、「厳島」もやるとは思いますが、多分、私は織田信長とい

う人が好きなんですね。いや、まぁ、ああいう人は苦手ですけど、

描く対象としては実に面白いですね。

ですから、私も興味が湧くところからやっていきたいと思いますの

で、今後はしばらく信長にまつわる戦の作品が続くかも知れませ

ん。まぁ、気分によって変わるので断言は出来ませんけど(笑)。

今、第四弾として考えているのは「木津川口」です。

はい、木津川口の戦いです。これは長篠の戦いと比べてもあまり

有名ではありません。歴史にそれほど興味が無い人は聞いたこと

もないよ、って思うかも知れません。

しかし、これは派手な戦なんですね、実際。

第一次、第二次と2回ありました。これは海戦、舟戦(ふないくさ)で

す。当時日本最強だった毛利・村上水軍と織田・九鬼水軍の戦い

です。籠城を続ける本願寺に毛利の水軍が大阪湾から水路で食

料などを補給するのに業を煮やした信長は自らの水軍で毛利水軍

に戦を挑みますが、あっさりと敗れてしまいます。まぁ、それほどま

でに毛利・村上水軍は強かった。

これを教訓に信長は毛利・村上水軍を破るべく新兵器を造ります。

それが軍艦です。大安宅舟の回りを鉄板で装甲し、当時では珍し

かった大種子島(大砲)まで搭載し、2回目の戦ではこれを破って

しまうのです。補給路を断たれた本願寺は和議に応じ、大阪を立ち

退くこととなったのです。

実際、凄いですよね、鉄甲船っていう発想が。

最強だった武田騎馬隊を鉄砲で破っただけではなく、今度は軍艦

で最強の水軍、毛利・村上水軍を破るという離れ業、これが木津川

の戦いです。曲はほぼ出来ているので、現在作詞中です。もう少し

お待ち下さい。

その後は、どうしてもやりたい「本能寺」。これも長編になりそうだ。

その他「比叡山」、これはあの焼き討ちを描くものですね。

信長関係以外だと、やはり「関が原」なんですけど、これは丸々描く

と30分以上の大作になってしまうので、どういう風にしようかと迷っ

ています。

まぁ、いずれにしてもやりたいことがいっぱいあるので、嬉しい悲鳴

ですな。

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2008年5月14日 (水)

カルロス・ゴーンの顔

カルロス・ゴーン、はいご存知ですね、日産自動車の再建に注力

した社長さんです。今はルノーの会長さんなのかな?細かいこと

はよく知りません。

いや、まぁ、その人となりはこの際どうでもいいんです。

今日の話題はこのカルロス・ゴーン氏の顔です。

ウィキペディアなどによりますと、このゴーン氏はあのMr・ビーンの

俳優さん、ローワン・アトキンソン氏に似ているとあります。う~ん、

ビーンね~、確かに似てないことはないと思いますけど、そっくりと

言うほどのこともないと思うんですよね。

それよりもですね、私は、このカルロス・ゴーン氏のお姿を見る度に

思うんですけど、この人、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリにそっ

くりなんですよ。

はい、あのサン=テグジュペリです、「星の王子様」の。

えっ?顔なんか知らないって?

ですよね、普通知らないですよね。

私もそんなに何度もサン=テグジュペリの顔を見た訳ではないので

すが、以前TV番組でサン=テグジュペリの一生みたいな番組で顔

を見たくらいです。ただ、その時、当然何度も写真が出てくるわけで

すよ、もちろん、サン=テグジュペリの一生を振り返る番組ですから。

その写真の顔、もうそっくりなんですよ、カルロス・ゴーン氏に。

いや、本当ですって。

本来なら、ここでお二方の写真をドーンと貼って、「ねっ?」みたいに

したいのですが、私もそんな写真をもっていませんから、ちょっとそれ

はご勘弁願います。

ただ、カルロス・ゴーン氏の顔は知っているけど、サン=テグジュペリ

の顔を知らないという方は、下記サン=テクジュペリインターネッ

トミュージアムなるサイトでそのお顔を確認してみて下さい。

激似ですから。

http://www.lepetitprince.co.jp/

まぁ、どうなんでしょう?

カルロス・ゴーン氏は母親がフランス人のハーフです(父親はブラジル

人かな)。もちろんサン=テクジュペリはフランス人でしょ?

フランス人顔なんでしょうか?ちょっと、私には分かりませんが。

とにかく、似ているんだ、あの二人。

その割にはあまり言われることはないように思います。

フィル・コリンズとレッツゴー三匹のジュンちゃんより似てるはず。

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2008年5月12日 (月)

新曲アップ~「長篠」

新曲アップしました。

「戦国絵巻ポップス」第三弾は「長篠」です。

「桶狭間」「川中島」に続いて、選んだのは長篠の戦いです。

どうでしょう?知名度からいくと前の二つに劣るのかも知れません。

しかし、日本史の教科書などでは、普通個々の戦の名前まではあ

まり重要視されませんけど、この長篠の戦いだけは太字だった記

憶があります。って言っても私が学生の時分なので相当前の話で

す、今は分かりません。

この長篠の戦いだけが、教科書に載っていた理由、それはこの戦

に日本史上初めて鉄砲による組織的戦術が用いられたからです。

故によくこの戦を称して「画期的」と言われることが多いですね。

まぁ、そう言ったあたりが、第三弾に取り上げた理由でしょうか。

ただ、この「長篠の戦い」の歴史的真実は、今まで語られてきたり、

映画やドラマに描かれていたのとはちょっと違うという説もあります。

従来、織田・徳川軍が使った鉄砲は3000丁と言われてきました

が、最近では1000~1500丁くらいではないかというのが主流

のようですし、そうなると、3000丁を1000丁ずつに分けて順繰り

に三段撃ちするというのも無かったということになるようですね。

また、そもそも武田騎馬隊自体存在が疑われるなど、色々な説が

出ておりますね。

しかし、「桶狭間」「川中島」でもそうでしたが、あくまで多くの人の心

の中にある「長篠」を描きたいという思いから、過去何度と無く描か

てきた姿の「長篠」にさせて頂きました。まぁ、真実を追求するのが

目的ではありませんから。ですから、映画「影武者」に近いかな?

そんな中で私が思う「長篠」像というものがあります。

それは、新しいものと古いものの世代交代ですね。

「長篠」というと鉄砲がクローズアップされがちですが、あくまでそ

れは象徴だと思っています。その本質は「商業型経済を基盤にし

た織田と農業型経済を基盤にした武田の世代交代」です。

農業は国の礎ではありますが、その収穫高、いわゆる石高は技

術革新でもあれば別ですが、そう一朝一夕には伸びるものではあ

りません。だからこそ、この戦国時代、国力を伸ばそうと思えば他

国を侵略し、国を大きくする必要がありました。そして、それを実践

してきたのが武田です。しかし、それには限界があります。何故な

ら自国がいくら大きくなっても、周辺の国々も淘汰されて残った強国

ばかりになってきますから、もう簡単には侵略できなくなります。

「川中島」が5回もあったのに決着がつかなかったのがいい例です。

一方、商業を基盤に置いていれば、爆発的な成長が期待出来ます。

現に信長は、商業都市堺を押さえ、琵琶湖の水運の拠点大津を

抑え、その経済力は他の戦国大名を遥かに凌ぐ勢いを有していま

した。信玄や謙信より後発の信長が先達を一気に追い抜いていった

秘密はそこにあるのですね。

ですから、この戦、鉄砲を使ったことより、鉄砲をあれだけの数揃え

られたことが本当は凄いのです。その経済力こそが勝因なのです。

そして、その差、商業型と農業型の経済力の差は時間が経つほど

大きくなっていくのです。恐らく、それは信長も武田の武将たちも分

かっていたのだと思います。だからこそ、あの長篠の戦いで、信長

は野戦でありながら、籠城策のような戦術、すなわち「負けなければ

いい」という戦い方をしたのではないか。もし、仮に武田が無理に攻

めて来ずに、退却したら、それで勝ちだし、決着が後に延びるほど、

経済力の差はもっと大きくなるわけですから、焦りはありません。

逆に、武田はあそこで織田に勝ちたかった。もちろん、名将が多く

いましたし、数で劣っていても、正面から戦えば武田に分があった

のではないかと思います。だから、結果的に無謀と言われたような

戦に進まざるを得なかったのだと、私は考えています。

あと、一つ。人によっては、武田勝頼は凡将だったという人もおり

ますが、それほど愚かではなかっただろうと思います。一方で、敗

戦を予感しながら譜代の名将たちは戦に臨んだという話、これはど

うかと思います。やはり彼らも読めなかったのではないかな、信長

のやることが。

まぁ、いずれにせよ、この戦にもドラマがいっぱいです。

サウンド的には「川中島」とはうって変わってシンプルなロック。

台詞等は極力省き、歌中心にしてみました。

是非聴いてみて下さい。

下記ページで聴けますのでよろしくお願いします。

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2008年5月11日 (日)

売春宿「朝日屋」の話

洋楽のタイトルというのは、まぁ、大抵が英語です。フランス語や

スペイン語なんてこともありますけど、ロックのヒット曲の多くが

英語圏のものですから、大抵が英語。

しかし、その英語のタイトルも長すぎると日本人には覚えにくい。

覚えにくいと曲と名前が一致しないし、覚えてもらえないので、買

ってももらえなくなってしまうかも知れません。そういう風に考えて

かどうかは分かりませんが、英語の歌にも日本語のタイトルが付

きます。

しかし、この日本語タイトル、必ずしもオリジナルのタイトルをその

まま訳したものではありません。原題が長いから訳しても日本語

タイトルが長くなるし、直訳では中々日本語タイトルとしてしっくり

来ないというのもあるのでしょう。色々工夫して付けるんですね、

この日本語タイトル。

例えばサイモンとガーファンクルの「Bridge Over Troubled Water」

「荒れ狂った海に架ける橋」が直訳ですが、「明日に架ける橋」と

なります。まぁ、この日本語タイトルいいと思いますよ。歌詞の中身

からしてもそういう前向きな歌詞でもあるし。本来原題そのままとい

うのが理想でしょうが、カタカナで「ブリッジ・オーヴァー・トラブルド・

ウォーター」なんてちょっと馴染まない。特に「トラブルド」あたりが。

ですから、この日本語タイトルっていうのは時に必要で、中には非

常に上手いものもあるし、一方で「あちゃぁ」みたいのもあります。

シカゴの「Hard To Say I`m Sorry」=「素直になれなくて」、これな

んかは結構良く出来ています。「御免と言えなくて」ではいけません。

一方、私が日本語タイトルの中で最も不思議に思うタイトルがあり

ます。不思議というのは悪いと言うことではないんですね。タイトル

としてはおさまりがいいんだけど、意味的にちょっと変な感じとで

も言うのかな。

それが「The House Of Rising Sun」=「朝日の当たる家」です。

上記の英語と日本語を並べてみると、それほどおかしくはないよう

に思えます。

ただ、この歌、かなり内容はハードです。父親が酒飲みのギャンブ

ラーで、結局自分は流れ流れて売春宿で惨めな人生を送っている、

「子供たちよ、私のようになってはダメだ」と語りかける歌なのです

ね。そして、その売春宿の名前が「The House Of Rising Sun」。

でね、日本語タイトルの「朝日の当たる家」って言うのが、売春宿の

名前としてそういう名前を付けているんなら、それもそれでいいか

というところですが、ちょっと考えにくいですよね。まぁ、ペンション

ならあるかもって言う感じで(笑)。

日本語の感覚で行くと、特に1960年代だし、売春宿「The House

Of Rising Sun」だったら、さしずめ売春宿「朝日屋」といったところか。

そう、「朝日屋」が「朝日の当たる家」になってしまった。売春宿がペ

ンションになってしまった、そんな印象を受けるんですね。

ただ、いくらなんでも「朝日屋」っていうタイトルにするわけにもいか

んだろうしね、「朝日の当たる家」でも悪くないかとは思うんですね。

だから、「不思議に思う」と言ったのですけど。

しかし、よく考えてみると、そんなに長いタイトルじゃないし、英語だっ

て難しい単語は使っていない。原題のままで良かったのでは?

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2008年5月10日 (土)

ガチンコデュエット見たいなぁ

昨日はデュオについて書きました。

でも、それはちゃんとしたデュオ、いわば恒常的にグループを組

んでいるデュオについての話でした。

今日もデュオの話です。ですが、ちょっと違う。今日のはデュオは

デュオでも全く異なるアーティスト同士のデュエットです。今はどう

なのかな?80Sなんかは結構盛んだったなぁ。あの頃は割りと簡

単に(いや、簡単ではないのかも)デュエットが成立していたように

思います。私のような洋楽ファンはその度に狂喜乱舞していました。

とは言え、全部が全部素晴らしいわけじゃないんですけどね(笑)。

で、私が驚いたデュオ、感動したデュオのお話です、今日は。

先ず、私の心の師匠ポール・マッカートニー先生がらみ。

withスティーヴィー・ワンダー「エボニー&アイボリー」、

withマイケル・ジャクソン「セイ・セイ・セイ」、この2曲。

特に「エボニー~」は好きでした。鍵盤の白と黒を人間に見立てて

何故人間は鍵盤のように調和出来ないのか?と問いかける。それ

を白人と黒人の代表アーティストと言って差し支えないあの二人が

歌うのですから、これはたまりませんなぁ。

一方、ミック・ジャガーがらみ

withデヴィッド・ボウイ「ダンシング・インザ・ストリート」、

withジャクソンズ「ステイト・オブ・ショック」

「ダンシング~」のPVはかっこよかった。ライブエイドで流れました。

「ステイト~」を録音したミック・ジャガー、マイケルの歌の感想を聞

かれ、「素晴らしいシンガー、良質のビールのような感じ。但し軽量

級だがね」(俺はヘビー級だったことか)。凄いコメントだな、ミック。

その他、

フィル・コリンズ&フィリップ・ベイリー「イージー・ラヴァー」

ジョージ・マイケル&アレサ・フランクリン「愛の訪れ」

う~ん、いいねぇ、「イージー・ラヴァー」。PVのフィル・コリンズが面

白い。これ、P・ベイリーのアルバムの曲なんですよ、プロデュース

がフィル・コリンズ。ですから、どちらかと言うと、フィル・コリンズは

主役ではなくて、P・ベイリーの曲なんですね。確かに彼の方が多く

メロディーを歌っています、P・コリンズはハーモニーが多い。にも

かかわらず、P・ベイリーのあの強烈なファルセット・ボイスのせいで

コーラスに聞こえてしまうんですよね、私しばらく、というか自分で歌

ってみるまで、「あぁ、こっちがメインヴォーカルなんだ」って気付き

ませんでした、すみません。

「愛の訪れ」、「アイ・ニュー・ユー・ウェイティング・フォオ・ミー」でし

たか、原題は。アレサ・フランクリンが歌うまいの当たり前ですけど、

あのアレサと真っ向勝負で負けないほどジョージ・マイケルって歌

上手いとは知らなかった、お見それしました、ホント。

と、まぁ、昔は結構スーパースター同士のデュエットが実現しました。

今はあまり聞かないですねぇ。また、日本でもあまり無い。「奇跡の

地球」くらいかな。

本当にでっかいスーパースターじゃないと、ダメなのかな。中途半端

にスターくらいだと、周りのしがらみとかに抗し切れず、企画が実現

しない。ミック・ジャガーだったら、「俺がやるって決めたんだ!上手

くまとめろ」なんて言えそうでしょ?

本物と本物、ガチンコデュエット見たいなぁ、また。

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2008年5月 9日 (金)

デュオの秘密を知りたい

デュオ、すなわちデュエットですね、2人組のアーティストってい

ますよね。あれはどうやって出来るのでしょう?私は誰かとデュ

オでやったなんてことがないのでよく分かりません。

例えば、世界の歴代の名デュオたちは何故一緒にいたのかな

なんて考えることがあります。

エヴァリー・ブラザーズ、ライチャス・ブラザーズ、まぁ、これは

兄弟だからなんでしょうね。特に不思議ではありません。

では、サイモンとガーファンクルは?元々は同級生と聞いていま

すが、おそらくブレインはポール・サイモン、で、声が綺麗なアー

ト・ガーファンクルという図式かな。分からなくは無い。

ワムはどうでしょう?

ブレインもメインヴォーカルもジョージ・マイケルです。

いや、アンドリュー・リッジリーもかっこいいけど、彼のギターがワ

ムのサウンドにそんなに必要だったのか疑問が残るところです。

これは聞いた話ですが、彼らも同級生で、アンドリューはジョージ

・マイケルの憧れの人(いや、変な意味でなく)だったのだと。それ

でデュオを組んだと。

これがバンドの場合、誰かバンドのブレインとなる中核のメンバ

ーがいて、その周りにプレイヤーが集まるというのは普通です。

そのブレインの能力が高ければ、単なるプレイヤーであるバンド

のメンバーはラッキーな音楽生活が送れることもあるわけです。

これはよくある話でありますが、デュオだとメンバー二人でやって

いますし、その片方がブレインだとすると、もう片方は何のために

いるのか?という疑問がバンド以上に直接的に浮かび上がるの

ですよ。要するに何故ブレインであるメンバーは、その相方と組ん

でいるのか、その相方とやる利点は何なのか?そう考えてしまう

んですね。特にワムみたいなケースは。

ごめんね、アンドリュー。

さて、その中でも、最も不思議なのはあの名デュオ、ホール&オ

ーツですね。彼らは今でも続けているのでしょう?一度解散したよ

うだけど。彼らを見ていると、いつも歌うのはダリル・ホールじゃな

いですか。曲も圧倒的にダリル・ホールの方が多い、特にヒット曲

はダリル・ホール単独か、ダリル・ホールと他の人の共作、時に

ダリル・ホールとジョン・オーツが書くといった具合で、正にブレイン

と言えるのはダリル・ホール、顔と言えるのもダリル・ホールなんで

すよね。もちろん、ジョン・オーツの渋い声が聴ける曲もあるのです

が、それは極めて少ないし、作曲の面でもジョン・オーツ主導という

のはあまり記憶に無いんだなぁ。かと言ってジョン・オーツが凄いイ

ケメンでヴィジュアル的に必要ということもない。

でも、ダリル・ホールはジョン・オーツとやる。

何でしょうね?理由は。プロデュースをやっていく面でジョン・オーツ

の力が大きいのかな?理論や楽譜に詳しいとか。何かダリル・ホ

ールが苦手としているものをサラサラとこなしてくれる人なのかな。

確かにプロデュースは全てホール&オーツ名義ですから。

でなけりゃ、ソロでやってもいいじゃないかって思うんですよね。

もう充分ジョン・オーツだって稼いだだろうし。

逆にだからこそ、思うんですよ、「ジョン・オーツはただ者ではない」と。

彼には何か凄い力があるんじゃないだろうか。アート・ガーファンクル

のような美しい声でもなく、アンドリュー・リッジリーのようなルックスも

ない、演奏も特にしない、曲も合作が殆どなのだけど、それでも必要

とされる何かが、彼にはある。

一体何だ?それは。知りたい。私もそんな何かを手に入れて、ダリル

・ホールのような男と知り合いたい(笑)。

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2008年5月 6日 (火)

音楽を旅する~ミュゼット編

「音楽を旅する」の3回目、今回はミュゼットです。

ミュゼットという音楽、皆さんは耳馴染みでしょうか?私が初めて

ミュゼットをミュゼットという音楽だと知ったのはいつ頃だったか

な。それまでもそういう音楽を聴いたことがあったし、好きだった。

それこそパリのカフェで流れているようなアコーディオンの響き。

そして時に軽快で、時に哀愁漂うワルツ風の曲、そんなイメージ

ですね。しかし、当時、やはり大学生の頃だっただろうか、私は

その音楽が何と言う音楽だか知らなかった。故に追いかける術

も無かったし、それを押してまで追いかける気持ちも無かった。

ある時TV番組にフランスの若いミュージシャンが出演していた。

3人組だったかな?一人は女性で、二人は男性。彼らは「ミュゼ

ット」なる音楽をやるのだと言う。私はその「ミュゼット」なる音楽

を知らなかったが、彼らが演奏するのを聴いて、「あぁ、この音楽

はミュゼットというのか」、そう思いました。えぇ、あのパリのカフェ

を思わせる音楽の名前がようやくここで分かったのですね。

しかし、その時TVで見たミュージシャンは誰だったのか未だに

分かりません。まぁ、別に彼らのCDが聴きたいとは思わなかっ

た。それよりもどちらかと言えばもう少し大きな舞台で演奏する

一流の演奏家でなくてもいいのだ、もっと「街」を感じさせる、場

末で演奏している、そんな演奏家を求めていた。まぁ、要するに

パリを感じたかったのだと思います。

そこで、私はミュゼットについて調べた。主にその歴史と良さそ

うなオムニバスCDを探したということですが。

その中で知ったこと、ミュゼットは正確には音楽そのものの名前

ではなく楽器の名前だったこと。ミュゼット・バグパイプと呼ばれ

そうです。それをオーヴェルニュ地方からの移民たちがパーティ

に使ったのがきっかけで広まったらしい。しかし、パリの同じ地域

にアコーディオンを持ったイタリア系移民がやって来て、結局、音

の大きさなどに勝るアコーディオンが主流になっていったとのこと。

オーヴェルニュ人達は商魂逞しく、それこそカフェなどの商売でも

成功したために、パリの音楽として定着したのだと読んだ気がす

するなぁ。まぁ、随分前のことなのではっきり覚えてはいませんが。

で、その時私が聴いたCDが「パリ・ミュゼットNo.1」というCDだ

ったと思います。それはNo.4までのシリーズだったらしいので

すが、結局No.2以降を店頭で見かけることはなく、それ以降そ

のシリーズを入手することはありませんでした。

その後必死になってミュゼットのCDを探したということはありませ

んが、HMVなどを見ていてワールドミュージックのコーナーに良さ

げなオムニバスがあれば買うという感じだったでしょうか。

で、おススめは「フレンチ・カフェ・ミュージック~パリ・ミュゼット」、

これは、私が最初に聴いた「パリ・ミュゼット」シリーズの編集盤ら

しい(ライナーにはそう書いてあった)ので、結構いい。

もう一枚は「アコーディオン・パリ」。こちらも同じような選曲ですけ

どいいです。まぁ、どちらか一枚あれば充分ですけど。

いずれにじても、これを聴く。そう、休日の午後、お茶を飲みなが

らこれを聴きますと、私の住む社宅であっても、何となく「パリ」な

雰囲気を感じます。

いや、これは嘘ではありません。音楽のイメージの強さとしては他

民族音楽を凌駕するものがありますよ。例えばヨーデルのスイス

アルプス、タンゴのアルゼンチンなどに比べて、パリ、それもセー

ヌ河畔というもの凄い限定的なイメージと結びついている分、強さ

として大きくなっているんじゃないか、そういう風に思います。

私のように、パリに行く時間も金もない方は是非。

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2008年5月 4日 (日)

「人間失格」という言葉

今日本屋さんで「人間失格」の文庫本を見ました。あの「DEATH

NOTE」の漫画家小畑健が表紙を書いたやつですね。あの表紙

にしてから随分と売上が伸びたと噂には聞いていましたが、今日

初めて見ましたよ。

猟奇的な笑みを浮かべる学生服の高校生と思しき少年(青年?)

が座っている姿を正面から描いたものですね。正直内容とは全く

リンクしないような絵なので、「はぁ」って感じでしたけど、まぁ、あ

れで中学生とかが「人間失格」を読んでくれるなら、それでもいい

かなどとも思います。

日本の小説の中で「人間失格」と夏目漱石の「こころ」が累計部

数を争っているそうです。あの表紙で「人間失格」が1位となるか

も知れませんね。

ただ、あの表紙にしたから売れているっていうのは事実だと思う

んですけど、表紙を変えたから何でも売れるって訳じゃない。私

は思うんですよ、もっと根本的な理由があると。ちょっとしたきっ

かけがあれば、すぐに人気に火がつくようなもの。

それはタイトルですね。あの「人間失格」という言葉。

多くの場合、特に若年層はまだ読んでいない人が買うのでしょう

から、内容は知りません。その時「人間失格」という凄まじい言葉

が目に入る。あの4文字には内容は分からなくても内容を想像さ

せ、ドキドキさせ、また恐がらせる要素がふんだんに入っているの

です。何でこんな言葉が思いつくかな?

私この小説大好きです。大好きですけど、一番好きなのはタイト

ルです、誤解を恐れずに言うと。

もちろん、内容は多くの研究家や文学者が言っているように「誰も

の心に突き刺さる」とか「自分を振り返ってみる」というような極め

て鋭利で痛烈なものだし、ある種自伝的な内容、告白的な手記の

ように捉えると、一体太宰の心の中はどうなっていたんだ狼狽して

しまうほどのもので、正に「人間失格」のタイトルに負けない内容

なんですけど。

だから、色んな人が使い回しているこの「人間失格」と言う言葉、

これがどうもしっくり来ないんですよね。かつてあってドラマ「人間・

失格」(ドット入れればいいってもんじゃない)、ロックバンド人間椅

子のアルバム「人間失格」、河村隆一のアルバム「人間失格」、映

画「ピカレスク人間失格」、これらはどうも簡単に「人間失格」という

言葉を使い回しています。この中に一つとして「人間失格」という

衝撃的なタイトルに見合う作品はありませんでした。このタイトルに

匹敵する台詞やフレーズはありませんでした。

私にとってこの「人間失格」というタイトルは作品の内容同様、これ

だけで重たいものなんですよね。何て言うのかな、「軽々しくない」

んです。だからあまり引用して欲しくないんだなぁ。

とにかく小説のタイトルの中では一番好きですね。

こんなタイトル創ってみたいよ、音楽家として。

まぁ、このタイトルこそが、この作品を今でも売れ続けるものにして

いる大きな要因だと思うのです。

そういう意味では「こころ」を平仮名にした夏目漱石の手腕も最高

だと思いますけど。

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2008年5月 3日 (土)

洋楽と言っても2

はい、昨日の続きです。

80年代、私が情報ソースとして大事にしていた音楽番組が二つ。

「ベストヒットU.S.A」と「全米TOP40」。

主に利用していたのは「全米TOP40」でした。まぁ、こちらの方が

以前からやっていたこともありましたし、何しろこちらはビルボード

のチャートを40位からカウントダウンしてくれるというありがた~い

番組でしたから、圧倒的にこちらから得る情報の方が多かった。

対して「ベストヒットU.S.A」は紹介しているチャートがラジオ&レ

コーズなんですよね。ちょっとマイナー。何故か私はビルボード至

上主義が強くて、ビルボードで1位になったものしか「全米No.1」

とか言いたくない。キャッシュボックスでさえダメなのだからラジオ

&レコーズのチャートには惹かれなかったなぁ。

でも、「ベストヒットU.S.A」には随分とお世話になった。やはり昨

日も申しました通り、時代はMTV全盛PV無くして音楽無しというよ

うな状況でしたから、ラジオである「全米TOP40」からは得られな

情報を得ることが出来ました。

今はかなりマイナーな外国アーティストのDVDなんかでも容易に入

手が可能な時代ですが、80年代はそんな事は無かった。

やはり海外のアーティストの艶姿を見るということ自体が大きな喜

びだったと思います。それはメジャーなアーティストでも同じです。

基本的にはアルバムのジャケットや雑誌の写真でしか見たことが

ないのです。彼らが動いているのが見れるなんて感動モノなので

すよ。

だから「ベストヒットU.S.A」では色んなアーティストが動いている

姿を随分と見せてもらった。

思い出深いのはプリンス。

私はジャケットで彼の顔を知ってはいたが、もちろん、動いている

のは見たことありませんでした、当時。で、番組で「リトル・レッド・

コルベット」のPVが放送されました。アルバム「1999」ですね、「

パープル・レイン」の一つ前。凄かったなぁ、変態?いやっ、天才

って思いましたよ。翌日奮発して2枚組みのそのアルバムを買いま

した。

その他印象に残っているもの、

エディ・グラント「エレクトリック・アヴェニュー」とかグレック・キーン・

バンド「ジェパディ」なんか。中々当時見れなかったからなぁ。

あと、夏休みだったかなぁ、ロックの歴史スペシャルみたいな特集

を3回に分けてやったんですよ。50年代、60年代、70年代に分

けていたと思います。

これ随分勉強になった。これで随分と色んなアーティストを聴く様に

なりました。ジェファーソン・エアプレイン、ヴァニラ・ファッジなんか

を教えてもらった。

やっぱり情報が少ないから、曲の断片だけ聴いても、「おっ、これは」

なんて反応で出来るんだよねぇ。それだけ飢えていたのでしょう。

今は情報量が多いから、逆に何が本当に欲しいのか自分でもよく分

からなくなっちゃうかも知れません。

どっちがいいとは一概には言えませんが、当時の方が刺激は多かっ

たように思います。

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洋楽と言っても

私の場合年齢的にいっても、本当に自分で意識して洋楽を聴い

たのは80年代だと思います。70年代もリアルタイムで聴いては

いたけど、情報量が少なかった時代だし、日本には日本で売れ

る洋楽の情報は入って来たけど、それ以外はあまり手に入れに

くかった。80年代になると格段に情報量が増えましたね。また

私も子供ではなくなったので、小遣いも増えたし、情報を得る術

も随分と覚えました。

ただ、「洋楽」とは「外国のロック、ポップス」なわけですけど、厳

密には二つの意味があると思います。一つは「外国、特にアメリ

カで売れているロック・ポップス」、そして、もう一つは「日本で売

れている外国のロック・ポップス」ですね。これは微妙に違うので

す。もちろん、重なる部分も多くあります。例えば80年代空前の

ヒットとなったマイケル・ジャクソンの「スリラー」なんかはどちらも

当てはまるわけです。しかし、このアルバム「スリラー」からのセカ

ンドシングルとほぼ同時期にアメリカでNO.1ヒットとなったパティ・

オースチンの「ベイビー・カム・トゥ・ミー」は日本で殆ど売れません

でした。これは「外国で売れているロック・ポップス」ですね。一方、

ロック最大の市場であるアメリカでは全く見向きもされず、ロック

先進国イギリスでも当時売れていない、主にそれら以外の国の

音楽で、意外と日本人のフィーリングに馴染んだ曲、そう、例えば

ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」なんかが「日本で売れている外国

のロック・ポップス」の範疇に入るでしょうか。

で、私は、いや、私も含めた洋楽ファン達はどちらを求めたか?

はい、これは言うまでもありませんけど、前者、すなわち「外国で

売れているロック・ポップス」を聴きたかったのですね。逆に日本で

しか売れない外国人に対しては軽蔑にも似た感覚を持っていたよ

うに思います。

そういう感覚が育ってきたのが80年代でしょう。70年代はむしろ

日本向け洋楽が推奨されていた。だから今でもチープ・トリックは

日本発みたいな現象が残っているんでしょう。でも、80年代はそ

ういうのはもう要らなかった。要は日本人向けに用意されたものを

聴くのではなく、例えばアメリカのビルボードのチャートを見て、そ

の中で自分の好みに合うアーティストや楽曲を自分でチョイスした

いという傾向が強くなりました。まぁ、少なくとも私はそうだったな。

そういう傾向に拍車をかけたのは、やはり「ベストヒットU.S.A」

かな。当時テレ朝で放送してた。

それまでは「全米TOP40」だけが唯一の頼りでした。

このビルボードチャートを40位から全部紹介してくれるラジオ番組

だけが情報ソースだったと言っても過言ではなかった。でも、80年

代、時は折りしもMTV時代に突入し、殆どのアーティストがビデオ

クリップを創り始めると、ラジオだけでは物足りません。と言うかそ

れだけでは情報が足りないのです。先の「スリラー」なんてビデオを

見ていないと話にならないし、ラジオでさえビデオを見ていることを

前提に話をする事だってあるのですから。

まぁ、そんな中で広く一般的な層までこのミュージック・ビデオをいち

早く紹介し始めたのが「ベストヒットU.S.A」だったのですね。私、

一回目から見ました。一回目の1位はジョン・レノンの「ウーマン」で

した。1981年ということになりますね。

はい、ということで、本日は総論でした。

明日、明後日とこの「ベストヒットU.S.A」と「全米TOP40」のお話、

各論に入って行きたいと思います。

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2008年5月 1日 (木)

河童は本当にいる(はず)

昨日に引き続き平泉・遠野旅行の2回目、今回は遠野編です。

遠野と言ったら、やはり柳田國男の「遠野物語」を思い浮かべ

る方も多いのではないでしょうか。

民俗学の金字塔とまで言われるこの作品、遠野近辺で起こっ

たお話をヒアリングして文章にしたものですね。「起こったお話」

と簡単に言ってしまいましたが、まぁ、中には地元の何とかさん

は大地主で...みたいな話も結構あるのですが、それと同じ

トーンで「●●さんが山姥に会った」とか「河童が現れた」みたい

な信じられないような話が平気で語られるのですね。

しかし、これは普通じゃない。とにかくまるで天気の話でもしてい

る程度の感覚で天狗、河童、山姥などが現れる。

どうなんでしょう?いくら時代は随分前と言ったってですよ、そりゃ

もう、近代のお話じゃないですか。どんなに田舎であってもですね

そんなに次から次へとそんな話が出て来て人は信じるものなのだ

ろうか。「お前適当なこと言って」とか言われたりしないのだろうか。

まぁ、普通にこんな風に思う訳です。

で、私は思うんですよ。そりゃ、彼らだってそう簡単に信じている

のではないんだと。つまり、彼がそれを信じるのは、本当にいるか

らではないかと。はい、いるんですよ、本当に。話を聞く人たちにも

ある程度似たような経験が一度や二度はあって、それ故に「あり得

る話だな」ということで地元に流布される、こういうことではないかと

思うんですね。そういえば妖怪漫画の大家水木しげる先生も「信じ

ている者にしか見えない」ようなことを言っていたような気がする。

長くなりましたが、この遠野。いそうな所なんだな、実際。

例えば、「かっぱ淵」というところがあります。昔お寺が火事になっ

た時、この「かっぱ淵」から河童が出て来て、皿から水を出して消火

したという逸話が残っている、そんな場所です。

いてもおかしくないだろうと思うのですが、いかが?

Img_1825_4

Img_1824_3

まぁ、しかし、この遠野。行ってみると色々村おこししてるんですよ。

「ふるさと村」とか「伝承園」とか、要はそういう妖怪話にちなんだテ

ーマパークのような(そう呼ぶにはセコいんですが)ものが点在して

います。ただね、あんまり面白くない。普通にお寺とかかっぱ淵とか

そこらへんにあるものの方が面白い。

確かに妖怪がいそうな「田舎」をテーマにして観光客を呼ぶという

発想は分かります、せっかくの「遠野物語」ですから。でも、そこらじ

ゅう田舎だし、妖怪が出そうな場所も河だろうと山だろうといっぱい

あるし、わざわざテーマパークにしないでもいいのではないかと思い

ました。実際面白かったのは、そういう人工的なものではなかったし。

遠野は桜が満開でした。もう時期を失したかと諦めていましたが、

何とか間に合いました。河童も見ているだろうか?

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