奈良へ行ってきました。一泊二日で。
今回の目的は、復元された「玉虫厨子」を見ることです。
6月末までの公開ということでしたので、予定していなかったので
すが、急遽、奈良へ行ってきました。
法隆寺は約5年ぶりです。私が静岡に行く直前に行ったのが最後
でしたから、それくらいになります。
法隆寺はいいなぁ。行く度に思う。
ご存知のように、法隆寺は日本の世界文化遺産第一号です(同時
登録は姫路城)。しかも、これは最近よくある、とにかく世界遺産に
したいという思いで、とにかく申請した、という経緯ではなく、ユネス
コの方から指定してきたものだと言いますから、正に第一級の文化
遺産と言えるでしょう。
それもそのはず、有名な話ですが、この法隆寺は世界最古の木造
建築物なんですよね。1300年も風雨に曝されながら立ち続けてき
たというのは、もちろん後世の人たちの努力の賜物でしょうが、それ
よりも、当時の建築技術の素晴らしさにあるのだと思います。
例えばよく見ると、回廊の屋根を支える木材は微妙に曲がっている。
これの曲がり具合はどうやって計算したんだか分かりませんが、宮
大工の話では、その曲がり具合により、上手く重みを分散させてい
るということでした。
私はこの法隆寺と伊勢神宮が大好きです。
上記のようにこの法隆寺が世界最古の木造建築物です。でも、実は
伊勢神宮の方が建物のスタイルとしては古いのです。藁葺き屋根に
掘っ立て柱、つまり地面にドーンと刺してあるだけという古代日本の
スタイルですね。そこらへんはむしろ登呂遺跡にある建物に近い。
法隆寺はちゃんと石で礎を補強してありますから、スタイルとしては
もっと新しいわけです。
でも、伊勢神宮は20年ごとに建替えるのだ。式年遷宮といって、今
の宮の横に新たな宮を建築し、神様にお移り頂くという儀式を1300
年繰り返してきたのです。
1300年立ち続けた世界最古の木造建築物法隆寺、1300年最古
の建物を新築し続けてきた伊勢神宮、この二つを見ると、どうも感慨
深く、涙ぐんだりしてしまいます。
そして、玉虫厨子は素晴らしかった。
簡単に言ってしまえば、レプリカなのでしょうが、それでも私たちは本
物の玉虫厨子に手を加えるわけにはいきません。でも、当時の姿を
出来ることなら見てみたい。となれば、この方法がベストだと思いま
す。残念ながら、撮影禁止だったので写真はお見せ出来ませんが、
非常に美しかった。
あれを作らせたのは民間の方だそうです。飛騨の方だったかな。
その方は完成直前に亡くなられたそうですが、天国で喜んでいらっ
しゃるのではないでしょうか。
本来はもっと公の仕事としてこういう文化事業はやってもらいたい
です。
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一昨日は東京は美術展がたくさんあっていいと書きました。
逆に静岡から東京に戻って不便なこと。
回転寿司が少ないことかな。
「そんなことはない、東京にはたくさんあるぞ」っていう方もいらしゃ
るでしょう。確かに、たくさんあります。ただ、割とファミリーユース
じゃないんですよ。回転寿司に行くにしても、私家族連れで行きま
すから、子供も行きます。そういう店が意外と少ないということで
すね。
まぁ、これは行動範囲に問題があるのだと思いますが、経堂から
だと渋谷、新宿、下北沢あたりが便利なんですよ。ここらへんは
土地も高いし、どれもカウンターオンリーの、どちらかと言うとビジ
ネスマンや学生が一人もしくは二人くらいで昼飯や晩飯を食べる
のに適した作りになっています。
神奈川方面とかちょっと郊外で行けば、そういう店もあるのでしょ
うけど、そうまでして回転寿司屋に行きたいわけじゃない。軽く昼
飯にくらいのノリですから、遠出するのも変なんです。
まぁ、回転寿司にも色々あります。
①高級指向の店
②エンターテインメント系
③価格均一系
①はね、まず行かないかな。高級なら築地の寿司屋に行きます。
回転じゃないところ。別にどっちでもいいんだけど、回転だとどうし
ても一つのネタを二つ食べるのが基本でしょ?回転じゃなければ
一つから握ってもらえるから、その方がいい。
②が圧倒的に少ないんですね。
ファミリーで行ってテーブル席に座って食べれるような店。鮮魚の
ネタは高級店ほどじゃないにせよ、それなりに素材重視。価格も
相応。と思いきや、「これ、寿司じゃないだろ」と思えるようなネタ、
ハンバーグや天麩羅まで寿司になっているという広い視野の店で
すね。おそらく、基本がファミリーユースだからなのでしょうが、コ
ンビニのおにぎり感覚の寿司と普通の寿司が並んでいる。
こういう店はかなりの面積が必要です。テーブル席も多いので。さ
すがに都心じゃ難しいと見えて、殆ど見かけません。静岡はこの手
のタイプがほとんどだったが。
③はあります、都心でも。
でも、このタイプも、静岡ではファミリー向けが殆どでしたね。東京
では前述の如く、カウンターオンリーの店ばかりだな。
そんなわけで、東京に来て著しく減ったのは、回転寿司に行く数。
寿司は食べれるけど、回転寿司は食べれないというのが都心の
現状のようだ。
凄い困っているわけではないけれど、たまに行きたくなるんだよな。
多分そんな時に、「じゃぁ、別のものを食べよう」となった時、東京で
行くのは、ラーメン屋かな。
東京はラーメン屋が多いな。特に経堂は激戦区だ。
ラーメン屋で困ったことは無い。
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静岡から東京に戻ってきて早半年が過ぎました。
静岡は気候温暖で住みやすいところだし、東京とそれほど離れ
ていないので、大抵のものが手に入る、そう思っていました。
でも、やはり、戻って来てみると、そうでもない。東京は便利だ。
東京でしか手に入らないものも多い。
最もそれを感じたのが美術展です。
私は絵が好き。自分でも昔は水彩、油絵両方ともやっていまし
た。今後も時間があればやりたいと思っています。ですから、美
術展に行くのも好き。静岡に住んでいた時も美術展には行きまし
が、何しろ数が少ない。美術展のというより美術館が少ないのだ。
まぁ、それなりの規模でやっているのは2つくらいです。ですから、
見たいなぁ、と思う美術展は年に3回くらいしかない。見たいもの
があって行っても、そこはやはり地方の美術館ですからね、企画
力っていうのかな、作品の数を揃える力がちょっと足りないんです
よね。田能村竹田という江戸期の画家の展覧会は、私も楽しみに
して行きましたが、作品の数が少なく、それを埋め合わせるかの
ように同時期の画家や同門の画家の絵が多く飾られていてがっか
りした経験があります。
しかし、東京は違う。何しろ上野は美術館銀座だ、って変な言い回
しだな。とにかく、上野の森だけであれだけ美術館がある。その上
新しい国立の美術館が乃木坂にも登場している。やっはり違うな
ぁ、と感じます。
静岡では多くて年3回しか行っていなかった美術展、この半年で
何回行っただろうか?横山大観、東山魁夷、モディリアーニ、ムン
ク、ユトリロ、ウルヴィーノのヴィーナス、思い出せるだけでも6回、
つまり月1回のペースで行っていることになります。それほどに東
京は美術展が豊富です。これでも取捨選択した上での回数だった
と思います。シャガールやロートレックは行かなかったし。
また、どれも気合の入った美術展なんですよね。大観やモディリ
アーニは新美術館が強力なラインナップで行っていたし、西洋国
立美術館は安定した作品群を提供してくれます。
次はコロー展です。
日本初登場の作品も目白押し、あぁ、楽しみだ、今から。
ただ、難点は唯一つ、混んでいるということです。
私は絵をちょっと離れて見るのが好きなんです。絵の全体が一辺
に見れるくらいの距離です。これは私の絵を見るときのお気に入
りのスタイルなんですよ。あんまり近くにより過ぎるとダメ、特に印
象派の絵なんかは、塊として見たい。近くで見ると勢いで描いてい
るところもあるから、逆に幻滅することもあるし。
これが難しい。何しろ人がいっぱいいますからね、東京の美術館
には。「ちょっと遠くから」なんて言ってると、その間に人がわんさか
立ってしまいます。
まぁ、でも、それも仕方ない。出来るだけ空いている頃を見計らっ
て行くようにしています。
それにしても、コロー展は必見だぞ。
皆さんも見た方がいい。
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昔、学校の音楽室に偉い作曲家の肖像画が飾ってありました。
今はどうだか知らないけど、少なくとも私が学生時代はそうでし
た。バッハ、モーツァルト、ベートヴェン、ここらへんは必ずあっ
たと記憶しています。それ以外ならヘンデル、ハイドン、ブラー
ムス、チャイコフスキーあたりか。
まぁ、いずれにしてもクラシックの偉大な作曲家たちの肖像画
というのは音楽室には欠かせないアイテムの一つでした。
ただ、いつの頃かは覚えていないのですが、その肖像画の中
にピタゴラスの肖像画があったことを覚えています。
はい、そうです。あの「三平方の定理」を考え出した人ですね。
私はその時、「あぁ、ピタゴラスも音楽やっていたんだ、世の中
マルチな人っているからなぁ」くらいにしか思いませんでした。確
か「むすんでひらいて」の原曲はジャン・ジャック・ルソー作曲だ
ったと思うし、そんなこともあるんだと思ってました。
しかし、そうではないらしい。
ジャン・ジャック・ルソーのような啓蒙思想家が作曲するのはそ
ういうマルチな面なのかも知れませんが、ピタゴラスが音楽を
やるのはちょっと違うのだ。大昔、音楽は神の世界を解き明か
すための学問だったのです。「クワドリヴィウム」と呼ばれ、音楽
幾何学、天文学、数論は神の世界の調和を解き明かしていくた
めの学問として、その根源は一緒であると捉えられていたので
す。従って、数学者は音楽をやるのが、ある意味当たり前、当
然、幾何学の世界で名を成したピタゴラスが音楽に無関心な
わけがないということになります。彼は別に趣味で音楽をたしな
んでいたのではなく、自らの学問の一環として音楽をやっていた
とうことです。
確かに、IQ300の天才少年現るみたいな話の時、数学の分野
でもの凄い才能を発揮している場合、音楽にもその才能を発揮
することが多いということをTVで見たことがあります。それもそう
いうつながりなんでしょう。
正直、数論と音楽の根源が一緒だと言われてもピンと来ないと
ころがありますけど、音楽は不思議とあの小節で区切ったなか
に収まりよく入る場合に限り美しい調和を見せるというのも一面
事実だなぁ、と音楽をやる者は誰でも思うだろうし、完成された
数式はある意味芸術であるという人がいるのも事実ですし、私
も少なからずそう思いますから、実際、その根っこはつながって
いるのかも知れません。
音楽というと、根っから文系肌の人がやる、芸術家というと数学
のようなきっちりとした学問とは無縁と考えがちですが、きっちり
理論を追いかけるクラシック系の音楽家はそうではないのです。
確かにバッハの平均律などの理論書は数学の教科書みたいで
すからね。
私は根っからの文系です(笑)。
私にはそんな難しい理論を追いかける力量はありません。
私はムジクス(音楽家)ではないのだろうな、カントレ(歌い手)な
んでしょう。いくら曲を書くといっても、所詮気分で書いているもの
だから。
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東京に帰って来て車を売りました。
経堂というのは便利なところで、新宿にも渋谷にも殆ど15分程度
で行けるんですよ。従って、あまり車を必要としない。電車の方が
便利なんです。都心に車で出ると混んでるし、駐車場も一杯だし。
その点静岡は車社会でした、どこへ行くのも車。
電車社会に戻って一番感じることは、携帯電話の使い方です。
これは以前からずっと思っていたのですが、しばらく車社会にいた
のでここのところ感じることがありませんでした。
それは、「何故携帯電話を電車で使ってはいけないのか」というこ
とです。電車社会では、当然のように「携帯電話を使わないのが
電車内でのマナー」と言われています。これが全然分からない。
私が思うのは、携帯電話は電車のような電話の無い、それでいて
誰かと連絡が取りたい場所で最も有効にその威力が発揮される
ものだと思うのです。例えば電車が事故で遅れて社内にいる、そ
のため商談に遅れそうだ、とかね。もちろん、そんな緊急事態に
限らず、「これからそっちに行くよ、今電車の中」くらいの会話もい
いいのではと思います。
ところが、世間では一応「電車内で携帯電話を使うのはマナーに
反する」ということで落ち着いている。電車に乗るとそういうアナウ
ンスありますよね。その一方で、それを誰も守ってやしない。みん
な席に座ってケータイ見つめています。これどういうことでしょ?
携帯電話が社会に登場した時から私は見ていますけど、何故か
鉄道会社は一貫してそれをマナー違反だと言い続けています。
しかし、その時は携帯電話は新しいものだから、鉄道会社がマ
ナーを決めるもんでもないと思うんですよね。
当初、携帯電話も今ほど性能が良くはありませんから、電車内
だと、相手の声が聞きずらく、話す声も大きくなってしまう。それが
迷惑だという風に言われていました。それなら分かります、それは
迷惑でしょう。でも、携帯電話の性能は格段に上がった。電車内
で話したって、普通の車内の会話とその声の大きさはもはや変わ
らないでしょう。いや、メールということになればそんな議論すら必
要ないことだし。
病院ではダメ、飛行機ではダメ。これらはよく分かります。医療機
器や操縦機器に影響を与えるのだと言われれば、命にかかわる
問題ですから。電車の操縦機器に影響を与えるのか?そんな話
は聞いたことがない。第一鉄道会社自身もそんな事は言っていな
いし。
そこで登場したのが、心臓のペースメーカーに影響を与えるとい
う理屈です。しかし、だから電車の中で携帯電話を使わない理由
はならないんですよね、直接は。と言うより、もし、そういう問題が
あるなら、街中どこでだって携帯電話は使えないでしょう?どこに
ペースメーカー着けた人がいるか分からないんですから。そうな
ったら、確実にそういう人がいないスペースでしか使えないんです
よ、家とか職場とか。そこには固定電話があるんですけどね。と
にかく、不特定多数の人が集まる場所では使えない、公共の場所
では使えないのですから、これでは携帯電話として機能しません。
つまり、それは欠陥商品ということです。マナーの問題ではない。
ところが、現実問題としてあれだけ街で、車内で携帯電話が使わ
ていながら、携帯電話の使用によりペースメーカーが事故を起こ
したという例を知りません。鉄道会社も「ペースメーカー等の医療
機器に影響を与える場合がある」という表現です。
はっきりしてほしいんですよね、これ。影響を与えるのか与えない
のか。与えると主張することは、携帯電話メーカーに対して欠陥
商品であると言うことになりますから、そういう事故事例を詳らか
に報告する必要があると思います。
で、結局その理論もうやむやのまま、鉄道会社は「電源をお切り
下さい」と言うのだ。だから、その理由は何なのか、それを言って
みてくれ。逆に聞きたいんだ、電車内でメールをすると誰に迷惑
がかかるんだ?いや、普通に電話したって、大した迷惑にはなら
ないんじゃないか。それは電車内では一切の会話禁止に近いと
思うぞ。
何故だ?何故なんだ、鉄道会社各社よ。
それほどまでに携帯電話を車内で使われたくない理由は何なん
でしょう。
実際、私は車内で電源なんか入っていなくても構わない。車内で
携帯電話を使うことなんて殆ど無い。
私はただ知りたいだけなのだ、理由を。
恐らくみんな思っているぞ。そんな理由はどこにも無いって。だか
らみんな平気で使い続けるんだ。
つまりそういう風に自然に作られたのだ、それがマナーというもの
だろう?
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連日色んな競技でオリンピック予選が行われ湧いています。
バレー男子が16年ぶりの出場、サッカーもありましたね。
そんなオリンピック関連のニュースで注目したのが、一つはアメリ
カのM・ジョンソンが過去のリレーの金メダルを返上すると言った
こと。リレーを共に戦った選手のドーピングが明るみになって、彼
は「あれは汚れた金メダルである」として返上を決めたらしい。
もう一つは水泳の水着の問題。水着で速くなるという感覚は素人
には分かりませんけど、確かに記録は違っているようで、みんなス
ピード社の水着を着ることになるのでしょう。
練習して強くなること以外の要素が勝負を決めることがある。
それは事実です。もちろん、ドーピングと水着を同列に語るつもり
はありません。何故ならドーピングは禁じられていることであり、ウ
ェアの開発はルール違反ではないから。
でも、ドーピングが仮に禁じられていなかったとしたら、これは何も
水着の選択とさして大きな違いはないことだとも思っています。
第一、いくら「汚れた金メダル」と言っても、目の前で誰よりも先んじ
てゴールしたことは事実なのです。ドーピングをした選手の方が速
く走れたのだ。かつて、カナダのベン・ジョンソンがドーピングで金
メダルを剥奪されたことがありました。結果、2位だったカール・ルイ
スが勝負に勝った形になりました。でも、そんなことは嘘です。私は
観ましたよ、ベン・ジョンソンの方が速かったことを。
ドーピングが禁じられている理由が私には分かりません。
私は医者ではないし、ドーピングの薬がどれほどの副作用を選手
の身体に及ぼすか、想像の範囲でしか語れません。でもですね、
競技者本人も大人なんだし、彼らが選べばいいのではないのです
か?もちろん、ドーピングをした結果、どんな未来が待っているか
は分かりませんよ、でも、それも承知で勝つために明日を捨てる
という選択があってもいいと思いますけど。
「死んでもいいから勝つ」、こういう選択ってダメなんでしょうか?
本人がそう考えてもダメなんでしょうか?
勝って、その後は英雄になって、引退後の生活も満喫したいとい
う選手より、明日はいらないから勝ちたいという選手の方に私は
心魅かれてしまうのです。
確かに、本当に死んでしまっている有名選手は何人もいます。
結局彼らは死ぬ時に後悔したのだろうか?「あの時ドーピングを
しなければ、こんなに早死にすることはなかっただろうに」などと
言ったのだろうか?
音楽なんかと違って、スポーツは勝負が着きます。結果が出ます。
そして、結果が全てだなどと言われることも少なくない。それなら
ば、ドーピングの果てに世界最速になったというのもその全てで
あるはずの結果のひとつなのではないのではと思うのです。
使いたくない人は使わなければいいし、使いたい人は使えばいい。
但し、使わない人は、恐らく使う人に勝てなくなるでしょう。それは
そうです、使う人は文字通り「命懸け」でやっているのだから。そ
うなると、ドーピングすることが、最早世界標準になってきてしまう
のだろうな。正直あのレベルで戦っている選手達って、勝つため
だったら、それくらいのことやるでしょう。だから、前もって禁止す
る。そういうことなのでしょう、それはよく分かります。
でも、私は思っています。ドーピングの上の結果も含めて、それが
結果だと。そして、結果が全てだと。
「汚れた金メダル」も「金メダル」には違いない。
第一「金メダル」よりも「速いということ」の方が真実だと思う。
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例えば、60年代のロックなどを聴いていると思うことがあります。
「古臭いなぁ」。これは例えばアイディアの問題とか、歌詞の問題
ではなく、音の問題で。
もちろん、楽器の造りが違うし、技術的な問題もあるでしょうから、
やむを得ないところもあるのですが、それでもそんなものばかり
ではないのだ。今聴いても古さを感じさせないものもある。
まぁ、もちろん、ビートルズは言うに及ばず、やはり、60年代に
それなりの地位を獲得したバンドには、今聴いても感じる何かが
あるのだ。一方で、消えてしまったバンド、例えば、ビートルズが
アメリカ上陸を果たした際、共にブリティッシュ・インベンションと
呼ばれ、アメリカに旋風を巻き起こし、その多くは2年後にはいな
かった、ああいうバンドの場合、不思議と「古臭い」イメージがして
しまうのですよ。
結果論的に言ってるんじゃないかと思われるかも知れませんけ
ど、別にそういうつもりはありません。いや、あれは誰でも思うん
じゃないかっていう位はっきり出てますけどね、その差が。
名前を挙げて申し訳ないですけど、ハーマンズ・ハーミッツとか
デイブ・クラーク・ファイブとかジェリー&ペースメーカーズなんか
は、如何にも古臭いサウンドと感じてしまうし、音もコーラスも細
い感じがするんですよね。
しかし、恐らく当時は同じように聴こえたんでしょう?
デイブ・クラーク・ファイブなんかはビートルズのライバルなんて
言われていたくらいですから、当時は同じようにかっこいい音楽
をやっていたはずなんです。それにちょっと誤解を招くかもしれま
せんけど、それほど楽器だって異なったものを使っているわけで
はないでしょうし、ビートルズの楽曲だけが圧倒的に複雑だった
ということもないと思うのです(もちろん初期の曲ですけど)。
にもかかわらず、ビートルズ、ストーンズ、キンクス、フーなんか
はエヴァーグリーンで、その他のバンドが古臭く聴こえることが
あるというのは何故なんだろう?
いや、楽曲自体、メロディは古くはなっていないんですよ、多分
今のバンドが演奏したらそれなりに聞こえるんでしょうけど。
その時には誰しも区別がつかなかった雲と泥。
40年も経つとそれがはっきりして来る。残酷というか何というか。
よく言われるのは、楽器の音は古くなるけど、人間の声は古くな
らないってこと。ビートルズなどは鉄壁のハーモニーを駆使して
いるため、新しさを保っていられるというものです。しかし、これ
も一部は当てはまるかもしれませんけど、そればっかりとは思え
ないんですよね。やはり、楽曲のアレンジとかに秘密があるのか
な、生き残るバンドは違うのか?
正直、私にはその差が分からないんです。
そういう意味からすると私は淘汰されていく方だろうか?
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はい、過去ブログの再掲載です。 よろしければ。 「歴史は音楽に冷たい」、こんな言葉聞いたことありませんか? |
||||||||
| ないですよね、私が作りました、すみません(笑)。 | ||||||||
| はい、しかし、今日のテーマはこれ。 | ||||||||
| 日本の歴史をざっと見渡しても、中世の、すなわち明治時代になる前の音楽家 | ||||||||
| というのは殆どその名前が残っていません。いや、正確には残っていたとしても | ||||||||
| 邦楽を志す人たち以外の者にはその名前が殆ど知られていません。 | ||||||||
| 例えば、絵画の場合、狩野派なんて人たちを聞いたことがありますでしょう? | ||||||||
| 各々の名前は知らなくても、狩野派という名前は割りと有名。江戸時代になれば | ||||||||
| 葛飾北斎、安藤広重などもう誰でも知っている名前が出てきますし、教科書にも | ||||||||
| ちゃんと載っています。 | ||||||||
| 一方、音楽家の場合、黒川琴古はどうでしょう? | ||||||||
| 恐らく普通知らない名前ですよね。彼は琴古流尺八の祖です。江戸時代の人で | ||||||||
| すが、上記の画家に比べると知名度は低いし、教科書にも載っていませんね。 | ||||||||
| それ以前だと、誰しも「虚無僧」とか「琵琶法師」の名前は知っていても、彼ら一 | ||||||||
| 人一人の名前は伝わっていません。 | ||||||||
| 実は日本に限ったことではありません。 | ||||||||
| クラシック音楽の本場ヨーロッパでも同様の傾向があります。 | ||||||||
| 皆さんよくご存知のバッハ。彼は今やクラシック音楽の中でも古典と言われてい | ||||||||
| ます。というのも彼が現在のクラシック音楽への礎となる数々の理論を確立した | ||||||||
| 人物だからです。しかし、そのバッハはいつの人か?1685年生まれです。 | ||||||||
| ですからクラシック音楽と言っても、たかだか300百年の歴史しかないのです。 | ||||||||
| しかし、今は西暦2008年。でも、クラシック音楽の歴史は300年なのです。 | ||||||||
| おかしいですよね。当然バッハの前にも音楽家は多数存在し、音楽は至る所で | ||||||||
| 愛されていたんです。でも、バッハより前の音楽家の名前となると知らない。もち | ||||||||
| ろん、専門に勉強している人は知っているでしょうが、私たちが音楽室で肖像画 | ||||||||
| を見たのはバッハからでしょう。 | ||||||||
| それ以前の音楽と言えば、「グレゴリオ聖歌」とか「吟遊詩人」とかかな。こちらも | ||||||||
| 具体的な固有名詞ではなく音楽自体の名前やそういう人の総称でしか伝わって | ||||||||
| いません。日本の「虚無僧」なんかと同様に。 | ||||||||
| でも、絵画は違います。ルネッサンスはバッハよりも200年も前ですよ。 | ||||||||
| ダ・ヴィンチ、レンブランド、ラファエロ。みんな有名ですからね。 | ||||||||
| 私はもっと歴史は音楽家の名前を掲載すべきだと常々思ってきましたが、それは | ||||||||
| 難しいのだと最近感じました。載せようにもあまり伝わってないのだと思いました。 | ||||||||
| そう、音楽は残っていないのだ。音楽は形がない、だからその「琵琶法師」の演奏 | ||||||||
| がどれほど凄くても、グレゴリア聖歌がどれほど崇高でも、時代時代に名人と言わ | ||||||||
| れた人たちの名前までは伝わらないのだ。名人も死ぬし、名人を生で聴いた人も | ||||||||
| 死ぬ。後でどんなに凄かったと言われても、後世の人は聴き様がないのだから、 | ||||||||
| 無理もないことなのだと思わざるを得ません。 | ||||||||
| 歴史は音楽に冷たい、これは録音技術が無かった時代だから、そうなったのだと | ||||||||
| 思います。だから日本の純邦楽について言えば明治以降生まれた人たちが、昭和 | ||||||||
| の時代になり、名人の域に達した頃からその名前が浸透しています。高橋竹山然 | ||||||||
| り、宮城道雄然りです。 | ||||||||
| それに比べると、ヨーロッパは早い。何しろ日本で言うと江戸時代のバッハ以降は | ||||||||
| 殆ど名前が残っています。それは楽譜があったからでしょうね。録音技術は無かっ | ||||||||
| たけど、それを楽譜に残し、学問として後世に伝えたのです。だから後世の音楽家 | ||||||||
| はバッハがどれほど凄かったかをその楽譜を通して知ることが出来たし、その音楽 | ||||||||
| を再現することも出来た。そして、そういう体制を整えたのがバッハだった、だから | ||||||||
| バッハ以降ということになるのですね。よく「バッハ以前、バッハ以後」と呼ばれる所 | ||||||||
| 以です。 | ||||||||
| その点絵画はいい。当然修復はしなければならないとはいえ、ルネッサンスの時代 | ||||||||
| の絵が堂々と残っている。いや、それどころか高松塚古墳の壁画だって残っている | ||||||||
| のだから。まぁ、残っているとは言い難い保存状態が口惜しいけど。 | ||||||||
| 時代は変わりました。音楽を残せる時代になりました。 | ||||||||
| とても幸せなことだ。 | ||||||||
| でも、本来音楽は手に触れれば消えてしまう淡雪のようなものだったのだ。 | ||||||||
| その時々で人々を楽しませ、感動させていたのだと思います。その中で名を残すこ | ||||||||
| となく死んでいった多くの音楽家がいました。 | ||||||||
| でも、不思議なことにその音楽だけは残っています。 | ||||||||
| 「虚無僧」が吹いていた尺八、「琵琶法師」が弾いていた琵琶、宮廷で演奏されてい | ||||||||
| た雅楽、今でもCDで聴けます。グレゴリオ聖歌も何枚もCDが出ている。 | ||||||||
| そんな名も無き音楽家の先に自分がいるなどと思い上がったことは考えませんが、 | ||||||||
| 自分が少しでも音楽をやっていることを誇りに思います。 | ||||||||
| 歴史は音楽に冷たい、冷たいが、音楽は歴史を超えるのだ。 | ||||||||
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以前甲本ヒロト氏がインタビューの中で、「自分たちのCDを自分
が好きなアーティストのCDを並べて棚に置いた時は嬉しかった」
というようなことを言っていました。
実によく分かりますよね。彼らブルーハーツがデビューして、CD
を発売、そのCDを自分ちのCDラックに置いてみる、するとそこ
には自分が今までファンとして聴いていたアーティストのCDと並ん
でるんですから、これは一種「プロになったんだ」という感慨もあっ
ただろうし、単純にただ嬉しいという気持ちもあったでしょう。
かく言う私も恥ずかしながら一度だけそういう経験があります。
私のアルバムではありませんが、私の楽曲を取り上げてくれた方
がおりまして、それがCDになったのです。12曲くらいあるうちの
一曲だけでした、私が書いた曲は。でも、そのCDが棚に並んだ時
は嬉しかった。もちろん、歌っているのは私ではないのですが、そ
れでもそんな思いを抱くのですから、全てが自分たちの作品だった
ら、それはもう天にも昇る気分ではないだろうか。
とは言え、そんな思いばかりではないのだ。
自分ちの棚に並ぶだけなら、「嬉しい」で済むのだが、メジャーの
アーティストともなれば、全国どこのCDショップに行っても、そういう
状況なわけです。それはもちろん嬉しいのだろうけど、逆に重さを
感じるのではないだろうか?
言うなれば、そこにはビートルズもストーンズも、マイルス・デイビス
もチャーリー・パーカーも並んでいるのですから、そんな彼らと同じ
所にたって勝負していかなければいけないんです。
もちろん、この日本で、日本人の新進気鋭のアーティストが多額の
宣伝費をかけて売り出せば、ビートルズのCDよりも売れるでしょう
けど、そういうことじゃないんですよね。要は音楽界の中で、自分が
存在する意義がどれほどあるのか?、そんなことを考えるんじゃな
いかってことです。
今更この音楽が、何か新しいものを提供しているんだろうか?とか
これは以前に誰かがやったことの焼き直しではないのか?とか、そ
いうことを考えてしまうということです。
私はどうしてもそういうことを考えてしまうんですよね、まぁ、だから
こそ、「戦国絵巻ポップス」なんて誰もやっていないことをやりたがる
のですけど。
例えば日本のR&Bのアーティストたちはそれをどう考えているんで
しょうか?彼らの存在意義は一体何なのか?
当然、CDショップには彼らの先生とも言うべきアーティストのCDが
普通に並んでいます。スティーヴィー・ワンダー、ジェイムズ・ブラウ
ン、スモーキー・ロビンソンなどなど。彼らではなく自分の音楽を選ん
でもらう決定的な要素って何だと考えるのか?
今創りたてだということか?歌詞が日本語だということか?少なくと
も私にとってはそれは彼らの音楽を選ぶ決定的な要素にはならない
んですよね。
創りたての音楽もすぐにそうじゃなくなる。そうなった時に、過去の名
作と並べられて、どうしたら戦っていけるのか?これって非常に厳し
い現実だと思います。
とりあえず、私は「戦国絵巻ポップス」としか言えないかな。
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以前ヨロズーで書いたものの再掲載です。 よろしければ。 グレン・グールド、カナダ人、ピアニストです。 |
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| 20世紀で最も偉大な、そして個性的なピアニストでしょう。 | |||||||||
| 彼が弾いたバッハの「ゴルドベルグ変奏曲」はそれまでのバッハ演奏の常識 | |||||||||
| を覆し、音楽界に衝撃を与えました。当時そのアルバムはルイ・アームストロ | |||||||||
| ングの新譜を抑えてチャートでも1位を獲得するという離れ業をやってのけま | |||||||||
| した。(後にルイが人気絶頂のビートルズを抑えてチャート1位になるという快 | |||||||||
| 挙をやってみせたのも面白い偶然ですけどね)。 | |||||||||
| 彼は間違いなく天才ですが、その強すぎる個性ゆえにある意味異端児として | |||||||||
| 今なお扱われることも珍しくありません。今日は彼のお話を。 | |||||||||
| あらかじめ申し上げておきますと、私は彼の演奏が大好きです。 | |||||||||
| 「ゴルドベルグ変奏曲」は掛け値なしにいい。人類の宝だ。それは間違いない。 | |||||||||
| 彼は2度(デビュー作と遺作)それを録音しているが、私は最初の、すなわち、 | |||||||||
| デビュー盤の方が好きですね。空の果てまで抜けていくようなピアノの音色、 | |||||||||
| 流れるようなタッチ、いいなぁ、おせっかいながら、全ての人に聴いて欲しくなる。 | |||||||||
| だが、彼は個性的だ。要は彼は楽譜通りには弾かないのだ。自らの独特の解釈 | |||||||||
| に基づいて衝撃的な演奏を展開するピアニストなのです。それ故に絶対支持派 | |||||||||
| と絶対拒絶派に分かれます。ただ、どちらの話も極端であまり賛同しかねる部分 | |||||||||
| も多いんですよね。 | |||||||||
| まず、絶対支持派の話。 | |||||||||
| 彼は「史上最高のバッハ演奏家」である、というもの。 | |||||||||
| 確かに彼の弾くバッハは素晴らしい。支持派はそれ故に「楽譜通りに弾かない」 | |||||||||
| ことまでよしとする。中には「楽譜通り弾くのは、20世紀になってから浸透したも | |||||||||
| ので、それまではそんなことは無かった」などと言う人までいる始末です。それは | |||||||||
| 逆です。19世紀以前はクラシックの音楽家とはいえ、自分の作品を弾くのが当た | |||||||||
| り前だったのだから、自分の作品を楽譜通りにどうしても弾かなければならない | |||||||||
| ことはないのです。過去の作品はあくまで練習曲なんですよ、人前で演奏するの | |||||||||
| は自分の曲。少なくとも19世紀まではクラシック音楽も創造音楽でした。しかし | |||||||||
| 20世紀以降再生音楽に堕したのだ。指揮者の位置付けが大きく変わったのも | |||||||||
| そういう意味でしょう。 | |||||||||
| だから、グールドがやっていることは「不遜」なんですね。どうしても「敬意を払っ | |||||||||
| いる」とは言えない。それは単に保守的な考えなのではなく、再生音楽である | |||||||||
| 20世紀以降のクラシック音楽の不文律なのです。彼はそれを守らなかった。 | |||||||||
| 正直、オリジナルのスコアは楽器の発達などの環境の変化を加味していないの | |||||||||
だから、不充分なところはあるんです、、故にそれを補いたくなるのは分かるので |
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| すが、でも、死んだ作曲家の意志は分かりませんから、それはルール違反としか | |||||||||
| 言えません。 | |||||||||
| 当然、著作権のようなビジネスの話として、誰でも好きなようにバッハの曲を解釈 | |||||||||
| して弾いてもいいんです、そして、グールドのように評価されてもいいんですけど、 | |||||||||
| それは「天才ピアニスト」に留めておくべきであって、「史上最高のバッハ演奏家」 | |||||||||
| という称号を与えてはいけないのです。 | |||||||||
| 確か、そう言ったのは同じピアニストのリヒテルじゃなかったかな。何故あなたが | |||||||||
| 決めるのだ?あなたはバッハじゃないだろうに、っていうことです。第一、史上最高 | |||||||||
| って言ったって、19世紀以前のピアニストがどうバッハを弾いていたかなんて誰 | |||||||||
| にも分からないじゃないか、録音されていないんだから。全くいい加減な話ですよ。 | |||||||||
| 「バッハが生きていたら、彼は認めただろう」なんてのは軽がるし過ぎますよね。 | |||||||||
| いや、正直私自身もそういう思いがありますけど、それは口にしてはいけないのだ | |||||||||
| と思っています。 | |||||||||
| グールドの作曲家としての不成功や、バッハが気に食わない演奏家と決闘までし | |||||||||
| たという逸話を考えると、「どうしてそんなことが言えるの?」っていう思いで、口か | |||||||||
| ら出かかった言葉を打ち消すのですね。 | |||||||||
| 一方で、彼のピアノを絶対的に拒否する人たちもいます。 | |||||||||
| 彼らが口々に言うのは上記のように楽譜を無視することが問題だということですね。 | |||||||||
| でも、彼が楽譜通り弾かないからといって、彼が天才ピアニストではない、彼の演 | |||||||||
| 奏がつまらないということでは断じてないのです。彼は「史上最高のバッハ演奏家」 | |||||||||
| ではないだけで、彼のピアノは充分魅力的なのですね。 | |||||||||
| 思うままに弾く彼のピアノを「あれはクラシックではない、ジャズだ」などと言う人が | |||||||||
| たまにいますが、それは失礼な話です。グールドにではなく、ジャズに対して。 | |||||||||
| グールドの「ゴルドベルグ変奏曲」がジャズだったら、三流ジャズですよ、スウィング | |||||||||
| してないし。ジャズピアノとしてならセロニアス・モンクの方が遥かに上でしょう。 | |||||||||
| グレン・グールドは天才ピアニスト、異端児。それ以上でもないし、それ以下でもな | |||||||||
| い、それでいいじゃないか、ダメ? | |||||||||
| 彼は演奏会をせず、録音や放送に活動を求めました。そこらへんも異端ですよね。 | |||||||||
| って言うか、彼は意識せずともショパンになりたかった人だと思っています。 | |||||||||
| ショパンはやはり演奏会を嫌い、ピアニストとして生きるより作曲家として楽譜を | |||||||||
| 残すことに力点を置きました。もし、20世紀の人だったら、自分の曲をレコードとし | |||||||||
| て残すことに心血を注いだことでしょう。 | |||||||||
| グールドは20世紀のショパンになりたかったのだと思う。 | |||||||||
| でも、残念ながら、彼にはショパンほどの作曲家としての力量が無かった。結果とし | |||||||||
| てまともな完成作品を創れなかった。いくら、彼が「作曲家のように弾く」と言われて | |||||||||
| も、いくらその著作で持論を展開しようとも、曲が書けなかったのは事実であり、そ | |||||||||
| れは彼にとって痛恨だったのではないだろうか。「作曲家のように弾く」のではなく | |||||||||
| 「作曲家として弾く」、彼が本当に求めたものはこれじゃなかったか。 | |||||||||
| 彼が極端なショパン嫌いだと言うのも皮肉な話だと思う。 | |||||||||
| いや、もちろん、嫌っている理由は、極度に感傷的な質の低い悲しみがあるベタつ | |||||||||
| いた音楽だから、といものだと思うし、そういう気持ちはよく分かるのだが、それでも | |||||||||
| どこか心の奥底で意識しているところがあったんじゃないのだろうか。 | |||||||||
| そういう意味からすると、彼は天才演奏家として、録音技術が発達した20世紀に生 | |||||||||
| まれて幸運だったと思うけれど、もしかしてバッハと同じ時代に生まれたら、それこそ | |||||||||
| バッハ本人から「史上最高のバッハ演奏家」の称号を貰っていたかも知れない、音 | |||||||||
| 楽史の中でひっそりと。 | |||||||||
どちらがよかったか?それはもちろん、今の時代。でなきゃ、私は聴けなかった。 髪結床オフィシャルHPhttp://homepage3.nifty.com/kamiyuidoko/ 髪結床MySpacehttp://www.myspace.com/kamiyuidoko 髪結床Waccahttp://wacca.tv/a/kamiyuidoko |
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先日映画「ALWAYS 続三丁目の夕日」を見ました。
世間での評判はすこぶる上々で、こんな意見が多かったように
思います。
「続編はがっかりするものが多いけど、これは面白かった」とか、
「正に続編という感じ」などです。
確かに、キャストも前作と一緒、また前作の4ヵ月後という時間
設定からして、前作の続きというのがふさわしいものでした。
要は前作は前作で一応完結しているのだけれど、そうは言って
も、それぞれの登場人物がどうなったのか知りたいとファンは
思っています。第一作が面白ければ面白いほど、その思いは
大きいですから、当然続編が期待される訳です。そういう意味か
らすると、本作は見事にファンの期待に応えた作品になっている
と思いました。
しかし、残念ながら第一作より面白いのか?と問われれば、そ
れは「NO」と答えるしかありません。
何しろ第一作あっての続編であるし、それ以上に本作は第一作
とあまりにパターンが似すぎていて第一作の時のような感動は
望むべくも無いのです。
例えば、この昭和30年代特有の戦後の傷跡のようなもの。
第一作では三浦友和扮する医者が、酔って、戦争で亡くなった
妻と娘に会う夢を見るという切ないエピソードがありました。これ
が、続編では、堤真一扮する鈴木オート社長が戦死したはずの
戦友の幽霊と酒を飲むというエピソードになっていました。それ
はそれで感動的ではあるものの、どうしても2匹目のどじょうとい
う感は否めませんでした。
そして、第一作では悲恋に終わった主人公の恋も、何とかいい
方向に向かって、話としては良かったのかも知れませんが、安
易に落ち着いた感じがしてしまって、逆に第一作目のラストは何
だったのかという気がしてしまうのですね。たった4ヵ月後のこと
なら、いっそ第一作目でそこまで描けばいいじゃないかと思えて
しまうのです。
この映画、確かに多くの人が言うように続編として非常によく出
来ていると、私も思います。しかし、これほどの続編であっても
やはり、第一作目を超えることはないのだと痛感しました。
続編は難しいのです。映画に限らず、小説でも、漫画でも、スト
ーリーがあるものは全てそうです。第一作が面白ければ面白い
ほど、人はその続きが知りたくなります。いとおしい登場人物た
ちが、その後どんな風になっていくのか知りたいと思うのです。
だからこそ、製作側は「その続編は金になる」と思い、続編を創
ってしまうのですが、必ずしもそれがいいことだとは限りません。
ファンたちは自分なりの続編をイメージしているかも知れないし、
具体的には思い描いていなくても、逆に具体的に続編を見せら
れることによって違和感を覚えることもあるのです。
私はいくつもそういう例を見てきました。漫画なんかではよくある
ことですが、続編に次ぐ続編でどんどんクォリティが下がってし
まい、結局第一作の高評価まで傷付けてしまう。「あぁ、あの時
終わってれば良かったのに」と後になって言われる。そんな風
になってしまうのは口惜しいではありませんか。
名作であるほど、第一作はいいところで終わっているものなのな
のです。作者はそこで終わらせたくて終わらせていることが多い
のです。
だから、製作者サイド、特にその作品で金儲けをしようと考える
人たちには、「出来ればそっとしておいてやってくれ」、こう言いた
いです。ぐっと我慢です。必ず「続編を創らなかった」ことが英断
だったと後々思うはずですから。
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「音楽を旅する」の7回目?だったかな、ハワイアンをお届けしま
す。ハワイアンというと、やはり、あのスティールギターの音を思
出だします。あのメロウな感じ、「あぁ、休日を満喫してるなぁ」み
たいなゆったりした音楽を思い描きます。
当然、私もそんな音楽に出会いたくてハワイアンを求めました。
私が購入したのは「ハワイ音楽の歴史的名曲・名演集」という
ちょっとお堅い名前のアルバムでした、3枚組みの豪華盤です。
コストは問題でしたが、本なので「決定版」とのお墨付きが多く、
その後買い足していくよりは、と思い、これにしました。
このアルバムは素晴らしかった。もちろん、そこには私がイメ
ージしたハワイアンの姿がありました。いや、それよりももっと
しっかりしたものだったかな。私のイメージは非常に浅薄なも
のだったかも知れないです。
ハワイは確かにアメリカ合衆国の州ではありますが、その島の
住民たちはアメリカの白人や黒人だけではありません。ポリネシ
ア系の人たちが多く住んでいます。彼らがそこに定住したのは
2世紀頃だといいますから、文化的にはポリネシアンであること
は間違いないでしょう。ですから、その音楽もポリネシアンであ
って不思議ではない、というよりそうあるはずなのですね。
ところが、例えば、他のポリネシアの島、トンガ、タヒチなどの
音楽と比べるとちょっと違う。
通常ポリネシアの音楽は首長や神を讃えるチャントが中心とな
っています。割と土着的な感じの音楽が多い。もちろん、ハワイ
音楽にもそういう面がありましたけど、明らかに近現代に入り
そうしたオセアニア圏の他の島々とは異なる発展をしてきたこ
とが分かるんですよね。
その決定的な違いは2つ。
一つはウクレレ、もう一つは前述のスティールギターです。
19世紀にウクレレがポルトガルから持ち込まれた小型ギターを
改良して作られ、20世紀にはスティールギターが入ってきて、今
のハワイアンになったと読みました。
まぁ、いずれにしても、元はポリネシアンであり、その後独特の楽
器が導入されて唯一無二のメロウサウンドが形成されたというわ
けですね。ただ、最近は大本のサウンド自体がポリネシアンでは
なくウェスタン調だったり、ロック調だったりするものが増えてしま
って、興ざめなものも多いですけど。
そういえば、スティールギターを最初に作ったのは日本人だと聞
いたことがあります、本当かな?
歴史的にはハワイは日本に対して「日本に入れてくれ」という要
請をしたことがあるのです。まぁ、アメリカと日本の中間点です
しね、日本とアメリカはいずれ戦争しそうな関係になりつつあり
ました。その時この小さな島は自分たちの運命をどちらかの
国になることで難局を乗り切ろうとしたのでしょう。ただ、日本は
アメリカを刺激しないよう断ったんですけど。スティールギター
の導入もそんな歴史的背景があるのだろうか?
ただ、ハワイもホノルルあたりに行くと、最もよく見かけるのは
日本人ですよね。まるで日本みたいです。そういう意味では現状
は歴史を超えたか?
そういえば、私も結婚式はハワイの教会でした。
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以前私は静岡に住んでいました。その頃は静岡から私の住んで
いた大岩というところまで約40分歩いていました、帰りだけね。
これはとてもいい。健康のためもいいのだ。毎日40分歩くと痩せ
る、というより太らないの方が適切かな。
まぁ、それは目的ではなくて、40分間音楽を聴きながら歩くのが
最大の歩く理由。家では中々家族の手前音楽をじっくり聴く時間
がとれないこともあって、この40分間はとても貴重なのです。
ところが、半年前東京に引っ越しました。世田谷の経堂というと
ころです。とりあえず、新橋からの帰り道どこかの駅で途中下車
して歩こうと思いました。
経堂は小田急線、下り電車で一つ前の駅は豪徳寺です。
先ずはここから歩きました。徒歩10分、あれ、何でこんなに短い
のだ?そんなに駅が必要なのか?これじゃぁ、音楽を聴く間もな
く帰宅してしまうではないか。
ということで、そのまた一つ前の駅梅が丘から歩くことに変更。
徒歩20分。あれ?まだ短いぞ。何で徒歩10分間隔に駅を配置
するんだ、多すぎるではないか。
そんなこんなで、更にもう一駅。世田谷代田です。
徒歩30分、オーマイガッ!またか?またも10分間隔で駅かよ。
結局更にもう一つ戻り、下北沢から歩くことに決定。約40分、静
岡にいた時と同じくらいになりました。
まぁ、それはよかったのですが、東京で40分夜道を歩くのは静
岡とはちょっと趣が違います。静岡の夜は繁華街を通り抜けると
殆ど住宅街で家までは暗い道を普通に歩いていくという感じでし
た。まぁ、特に恐いこともないけど、静かなもんでした。
ところが、東京は違う。駅前の商店街を通り抜けて静かになった
と思ったら、また次の駅前ですから、また明るくなる。店もまだ開
いているしね。何しろ下北沢~経堂間には三つの駅があります
からね、上記のように。
この間色々な店の前を通ります。普通にただ通り過ぎればいい
のですけど、その中には洋菓子店などもあるのですよ。わざわざ
普段降りるようなことはない駅ですしね、「ちょっと、買ってみよう
かな、実力の程も知りたいし。美味しければ休日買いに来よう」、
まぁ、こんな風に甘党の私は思うのですよ。
まず、豪徳寺の駅前に地元のコミュ紙に紹介されていた洋菓子
店を発見、即購入。梅が丘駅前に洋菓子店2店発見、こちらも
両方とも試しました。私が最もよく歩く通り沿いに洋菓子店2店
発見。こちらは帰宅時間に開いていない為、まだ食していませ
んね。下北沢から世田谷代田の住宅街の中に隠れ家的洋菓子
屋というかレストラン発見、ロールケーキを購入。
無意味に家へのお土産が増えていきますねって、結局自分に
買ってるようなもんですけど。
しかし、何でこんなに多いのだ、洋菓子店。住宅街にまであるっ
てどうかしてるぞ。何故私がそこを通ることが分かったんだ?
これだと、歩いても痩せないかな?
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